「思川の砂をレンガ工場まで舟で運ぶ様子。下野煉化製造会社の敷地内にあった運河は、煉瓦の原料や砂や粘土を運ぶほか、煉瓦の出荷にも使われました。」(鈴木路雄『セピア色の昭和時代』より) 野木町煉瓦窯はホフマン式の煉瓦窯で、明治23年(1890)から昭和46年(1971)までの間、多くの赤煉瓦を生産していた。