「夜も昼も列車が通るたびに、踏切のおじさんが遮断機を上げたり、下げたりする。東北本線の客車や貨車を合わせると、一日50本以上だ。踏切の閉まっている時間が長いと、苦情が絶えなかった。」(鈴木路雄『セピア色の昭和時代』より) 鍛冶町通りの踏切。現在は高架になっている。