京橋の上を都電が走っている。周辺には昭和10年頃まで青物市場があり、大根河岸(だいこんかし)と呼ばれていた。京橋川は、戦後の復興事業で埋め立てられ、テナントビルと高架道路が一体化した東京高速道路となった。埋め立てには戦災の灰燼も使われた。
Reclamation work in Kyobashi River.