写真ソカイサキデノセイカツ S1R0191115169

疎開先での生活

内容

(中央)「黎明暁ヲ告グ」「南アルプス地蔵ヶ丘ヨリ御来光ヲ拝ス雲海下ハ甲府盆地」
(左下)「寒波モ吹飛バス元氣サ 米倉寮」
(右下)「洗顔 米倉寮」
八雲国民学校の3年生以上の児童250名は、昭和19年9月4日、東京急行電鉄東横線の都立高校駅(現:都立大学駅)から甲府に向け出発、同日13時38分に甲府駅に到着し、甲府市内16か所の宿舎)に分散し、9月6日には市内の琢美国民学校、春日国民学校、穴切国民学校を疎開先学校として通学した。後に甲府も空襲の危険があることから、20年6月19日に北巨摩郡若神子村・穂足村に再疎開をし、10月25日に帰京した。
小石孝夫・小石ロベルタ提供

原文