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同盟写真特報第2311号(2)納富大尉と”棒倒し”

内容

これは第一次ブーゲンビル島航空戰のとき指揮官として僚機の戦闘にたち流星のごとく敵艦めがけて突込んでいつた納富大尉の海軍兵學校時代の逸話である。
昭和八年の秋だつた。納富二號生徒は、ある日の”棒倒し”に、根元を守る役を引受けて、人垣のなかにあぐらをかいた。その日の勝負は非常に長くかかつた、”棒倒し”の勝負は一囘五分間と聞いてゐるがその時は非常な激戰になつて、十分間も要したさうである。結局、納富生徒の屬した軍が敗けのかたちで”待て”のラッパが鳴り渡つたのである。敗戰を宣せられて、その軍が人垣を解くと、棒の下に納富生徒の體が伸びてゐるのが發見された。”棒倒し”の時に、一人や二人、所謂ノビた状態になるのは、さまで珍らしくないさうだが、納富生徒はまつたく意識を喪ひ、假死に墜入つてゐた。直ちに軍醫官が馳せつけたが、うごかしてはいけぬといふので運動場の芝生にテントを張り、日を運び人工呼吸を施したが、二時間經つても、効果がなかつた。”棒倒し”は競技ではなく訓練でありそれに殉るヽは生徒の本文といつても、教官職員の憂色は濃くなるばかりであつた。生徒たちも口にはいはねど黙然として納富生徒の身を氣づかつた。だが、夕飯の時に食堂へ入つてきた當直監事のW大尉から、納富生徒の真三が動き始め、もう安心してよい狀態であると聞かされた時には、あの大食堂の中が一時に明るくなつた感じだつたさうだ。訓練に死を賭したといふことは外は知らず、江田志摩の生徒館では由々しき亀艦なのである。約一箇月後に、納富生徒の健康が囘復した時に、名譽ある軍艦旗掲揚げ台の前に全生徒が集められ、納富生徒に對する特別善行表彰式が行はれた。この表彰は滅多にないことで善行章は卒業まで燦然として納富生徒の胸に輝いたことであらう。われわれは、棒倒しとブ島沖第一次航空戰とを通じて、同じ人の同じ烈々たるものが胸に迫つてくるのを感じないでゐられない。「今度は澤山ニュースがあるだらう」とキシャに語つて基地を飛び、流星の如く落下して姿を消した納富機と、江田島の運動場で、数時間の假死に墜入ほど闘つた納富生徒の間には、十年を隔てヽ脈々たる一本の太い糸が繋がつてゐることを、知らずにゐられない。(岩田豊雄氏の原稿より)

大東亞戰爭特輯記録版 同盟寫眞特報 教育版

原文