船主 大阪商船 総トン数 9,625トン 昭和4(1929)年10月31日、三菱長崎造船所で竣工 南米航路に就航。移民船として活躍。 太平洋戦争中は病院船として活躍。昭和18(1943)年11月27日、ラバウルからパラオに向かう途中、ニューアイルランド島西方のビスマーク海でB-24の爆撃により沈没。患者155名、衛生兵2名、便乗者1名、船員1名、戦死。