船主 大阪商船 総トン数 7,363トン 昭和12(1937)年9月30、三菱長崎造船所で竣工。 神戸~大連航路に就航。 船腹の船名表記は新造時の「あふりよく丸」から昭和16(1941)年に「おうりよく丸」に変更。 昭和19(1944)年12月15日、引き揚げ邦人や捕虜など約3,500名を乗せマニラから高雄に向けて航行中空襲を受け、退避したスービック湾で沈没。船員10名、船砲隊38名、戦死。