日ソ共同宣言調印後初の帰国者二十三名が遺骨、遺品三体と共に帰って来た。これらの人びとは抑留十年の苦難に打ちのめされ、十五人までが重い病人で、舞鶴入港の時も甲板に出てくる人は殆どなかった。写真は品川駅についた長谷川典一氏で同氏はこのまま入院してしまった。(共同) 昭和三十一年十二月十九日 第七六四号 日本写真新聞通信社