警官側と地元・労組側とはふたたび激突し両者合わせて九十八名の重軽傷者を出すに至つた。五月四日に接収が指定されてから事態は悪化するばかりで、最近は特に婦女を含む地元大衆が先頭に立つて激しく抵抗するようになり、砂川町は全国基地闘争の頂点の様相をおびて来た。 昭和三十年十一月十六日 第七〇二号 日本写真新聞通信社