写真ラビットスクーターニノッテ
S1H1417021101
ラビットスクーターに乗って
内容
持田コレクション。「昭和25年3月(1950)。中央区日本橋呉服橋3丁目現在(八重洲1丁目)の路地で。ラビットスクーターに乗って。」
ラビットは中島飛行機から改名した富士産業(現SUBARU)が終戦直後、アメリカ郡落下傘部隊用のスクーター「パウエル」を手本に開発したスクーター。昭和21年6月に太田工場で試作第1号が完成し、本格的生産は22年に開始した。国内の復興とともに生産台数は増加し、23年には月産500台だったが、27年には1,300台、28年には2,000台となるなど爆発的な人気を博した。
原文