昭和20年(1945)の春になると東京の大半は焼け野原になってしまった。建物疎開とは、重要施設(官公署や軍事施設、軍需工場等)を守るため、その周囲の民家を取り壊し、空き地をつくるのを目的として行われた。この写真にあるのは、目黒区上目黒における建物の強制疎開である。