4月中旬以来続いた米軍機による爆撃のため東京は焼け野原となった。家財を焼かれてゆとりのなくなった罹災者は日々の食べ物にも困るようになっていた。こうした人々を救済するため、警察署では食料が配給したり、さまざまな活動を実施されていた。この写真には、工場に臨時開設された日暮里署が写し込まれている。