戦争が終わっても人々の生活が安定することはなく、就職するのは至難の業であった。職業安定所でも仕事の斡旋はしていたが、就職したい人が大勢いすぎていたのである。写真にあるのは、東北の玄関口上野駅にあった上野職業安定所である。