写真センソウジケイダイデバラックセイカツ S1H0909004791

浅草寺境内でバラック生活

内容

浅草寺本堂が焼け落ちたのは、昭和20年(1945)3月10日の大空襲の時である。戦争が終わると、地元の人たちは影向堂を仮本堂にして、寺の復興にあたった。その頃は、写真にあるように浅草寺境内の二尊仏には、あちこちにバラックが建っていて、焼け出されて家も家族もなくし、行き場のない人たちの溜り場のようになっていた。

原文