焼け野原となった東京の街が復興するには時間がかかった。空襲前と同じ造りの家屋を再建するほどの資材を持ち合わせている者は限られていた。結果として都内には、その場しのぎの簡単なバラックが立ち並ぶこととなった。写真にあるのは、下町浅草に新築されたバラックである。お腹いっぱい食べることはできないが、子どもたちはその前で戦中と変わらず元気に遊んでいる。