隣組の避難訓練で宝橋を渡って避難先へ移動する人々。 昭和15年(1940)に町内会の下位組織として10戸程度を単位とする隣組が組織化された。隣組では防空活動のほか、配給切符の割当や資源回収の実施、常会を定期的に開催して組内の意思疎通の機会を設けるなど、戦時体制下での国民生活の基盤となるさまざまな活動を行った。