日本陸海軍では大正時代から兵器として飛行船の研究が続けられていた。しかし大きな進展を遂げることはなく、陸軍では大正9年に「飛行船」としての研究は事実上廃止された。こうした流れを受けて、第二次世界大戦中には「気球」として気象観測・偵察・防空任務などの活用を行った。この技術は、第二次世界大戦の終わり頃には「風船爆弾」の開発へと応用されていく。写真にあるのは、「九三式防空気球」もしくは「多葉式防空気球」と考えられる。