三味線堀は、1630年、旧小島町一帯の沼地を埋め立てるために造られたが、大正になってそのほとんど埋めつくされてしまった。ここに区設の三味線堀市場があって、食堂などがあってにぎわっていた。しかし今では三味線堀市場という名称が残るのみである。 「東京市設食堂」という看板が掲げられている。