東本願寺の別院、東京本願寺は浅草本願寺とも呼ばれる。江戸時代には朝鮮通信使の宿坊としても使われたという寺域は現在よりも遥かに広く、幕末から維新にかけて、いくつかの歴史的事件の舞台ともなった。また、都内を襲った数度の空襲にも屈せず、奇跡的に無傷でこの寺は残ったのである。