昭和30年(1955)秋に米軍立川基地が拡張されることになった。この決定から昭和32年(1957)まで、地元農民の立川基地拡張反対同盟を中心に、絶対反対の運動が開始された。砂川闘争と肥桶の話は有名で、農民は肥桶を持ち出して警察官に対抗したのである。この写真は強制測量をすることになった時に光陽が、撮影にいったときのものである。