写真シンカイチホンドオリ S1H0909001294

新開地本通

内容

明29年(1896)に湊川が決壊して大水害がおこり、河川の付け替えが行われた。旧湊川は埋め立てられ、明治38年(1905)に南北に長い空き地ができ、南側に自然発生的に湊川新開地が生まれた。北側には湊川公園ができ、大正13年(1924)には当時、東洋一の高さを誇る神戸タワーがシンボルとして建てられた。
新開地には芝居小屋や活動写真小屋が立ち並び、一大歓楽街となった。その繁栄ぶりは「東の浅草 西の新開地」と謳われ、全国有数の娯楽のメッカとなった。しかし、昭和20年(1945)3月の神戸大空襲で一帯は焼け野原になった。写真は昭和25年(1950)の新開地本通りの様子で、通りの左側にある日之出ビルは空襲でも焼け残った。

原文