洲崎遊廓の中心部、洲崎弁天町の通りで人力車に乗る花魁たち。 東京帝国大学校舎が本郷区(現・文京区)根津に新築されることが決まると、近隣にあった根津遊廓は洲崎へ移転することになり、明治21年(1888)に洲崎遊廓が設置された。東京大空襲で一帯は焼け野原となり、戦後は歓楽街「洲崎パラダイス」として再建されたが、昭和33年(1958)4月に廃止された。