日本経済を支えた女たちーユニチカの巻ー
〔見ればむかし〕
戦前、戦中と日本の産業を支えた繊維業。白いご飯が好きなだけ食べられるという募集広告に集まった沢山の女性たち。彼女たちは家計補助のため、結婚資金を作るために、2、3年の年期奉公に来るのだった。精神的、肉体的に教育される寄宿舎生活。時には楽しく時には辛い日々。日本の紡績産業を支えた女性たちの姿をかえりみる。
1.大日本紡績株式会社(現ユニチカ)で働く女性たち(大正12年頃)
施設 寄宿舎の様子
テニスを楽しむ男性たち
室内 床の間
付属小学校と幼稚園 明治40年11月 大日本紡績付属小学校を開校
円になり、歌に合わせて踊る子どもたち 行進をする男児たち
炊事場 食堂 洗濯場
板ばり、伸子ばりなどの洗い張りをする女性たち 竿に干された衣類
保育所の様子 日の丸の小旗を振る幼児たち
綴り方教授 裁縫
満期 労働契約の終了 表彰式
2.大日本紡績津守工場の様子(昭和14年)
輸出報国(輸出を盛んにしてお国に報いる)
明治22年6月19日ユニチカの前身尼崎紡績会社設立
明治41年6月、大阪府西成郡津守村北島に工場新設
忠魂碑へ参拝 津守神社へ勤労奉仕の清掃
2,000人の大食堂
出勤の様子
工場作業工程 紡績部 混棉部 打棉部 梳棉部 連棉部 租紡部 精紡部 捲糸部 織布部
工場歌・大日本紡績津守工場
輸出報国
工場内部の様子
寄宿所 中庭 寮舎 寮内廊下 室内 団欒 本や雑誌を読む女性 手紙を書く女性 新聞を読む女性 編み物
宮城遙拝
講堂・仏間
売店
洗濯場 浴場(明治30年5月完成)
付属病院(明治28年5月工場診療所及び病室完成) 健康相談所
社宅
工場内 野球グラウンド
実践女学校 女性青年学校校舎
読み方 生け花
裁縫教室
3.大日本紡績鹿児島工場 従業員慰安旅行へ
昭和11年 阿久根海岸
西鹿児島駅前~阿久根駅前~阿久根海岸
お昼休憩
乗船
ダンス
大日本紡績津守工場
体操・行進・バスケットボール・水泳・余興・運動会・応援団・スプーンリレー・ムカデ競争・ダンス・幼児のお遊戯・玉入れ・ボール競技
(社名変更)
大正7年6月1日大日本紡績
昭和39年7月26日ニチボー
昭和44年10月1日ユニチカ
昭和39年10月23日 ニチボー貝塚女子ベレーボールチームは東京オリンピックで金メダルを獲得、「東洋の魔女」と騒がれた。
協力:ユニチカ株式会社