映像1950ネンダイノナンゴクミヤザキ 資料番号:V1R0222201787

1950年代の南国宮崎

撮影年月
1950年(昭和25年)~1959年(昭和34年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
46分10秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

〔未来に生かす記憶〕
 遠い南の海から日本列島を目指して旅した黒潮が、最初にたどり着く地が宮崎である。熱帯植物の生い茂る美しい海岸線は、日本の代表的な観光地であり、新婚旅行先としても人気を集めてきた。今回の映像タイムトラベルは、南国、宮崎の1950年代の姿を、県政ニュースで紹介する。
 宮崎県は美しい自然と豊かな資源に恵まれているが、総面積の80%が山を占め、交通網がまだ発達していなかった当時、陸の孤島と呼ばれていた。日本中が産業の近代化、工業化を向いていたこの時代、宮崎県も総合開発計画に取り組んでおり、その様子が県政ニュースで報告されている。
 昭和33年に完成した渡川ダムは、その冠水式の様子や沈みゆく村をみる村民の姿が紹介されている。この頃、宮崎県は多くのダムを造り、高度成長期には、他県に電力を売る日本一の電源県となった。始まったばかりの細島の埋め立て工事は、大きな港を持たない宮崎県にとって、近代工業県になるための必須条件であった。映像では、後に国際貿易港になる細島のかつてののどかな内海の風景がみられる。川にダムを造り電力を得て、海を埋め立て工業地帯や港を造る獲った、工業化へのやり方は当時日本中でみられた。
 昭和33年に宮崎を訪れた天皇皇后陛下が、宮崎神宮を参拝したり、農業試験場で促進栽培のハウスを見学される様子も紹介されている。両陛下を歓迎する県民の表情は、この時代の日本人が、エネルギーに満ちあふれていたことを感じさせる。
 この他、宮崎空港の開港や、できたばかりの県立宮崎病院の病棟の紹介、140年ぶりに噴火した霧島のニュースや宮崎神宮での流鏑馬の様子と盛りだくさんだ。

1.「郷土宮崎」・「躍進宮崎」
「郷土宮崎」(昭和29年)
・高千穂 アーチ式ダム建設 渡川ダム 日向市細島 臨海工業建設工事 埋め立て工事 台風による被害 全国知事会議 宮崎県庁 宮崎産業観光大博覧会 えびの高原 温泉 農業試験場 宮崎空港 

「躍進宮崎」(昭和30年)
・読売国際ニュース「日南海岸はや初夏の訪れ」 「準急延長に湧く」準急列車 宮崎駅 駅頭のブラスバンド 「新生に息吹く宮崎」航空大学校 極東航空(現:全日空) パイロットの育成 日向市細島 臨海工業建設工事 県立宮崎病院 「誕生する渡川ダム」渡川発電所 沈む村と村人 ダム完成式 

2.「日向路の天皇・皇后両陛下」
「日向路の天皇・皇后両陛下」(昭和33年)
(制作:宮崎県 解説:高橋圭三)
・植樹式 会場に到着した天皇・皇后両陛下 皇居二重橋 お召し列車 駅に到着の天皇・皇后両陛下 出迎える人びと 沿道で歓迎する人びと 宮崎神宮 宮崎観光ホテル 宮崎県産業奨励館 児童福祉園 農業試験場 宮崎航空大学校 室内航空練習機 国産レーダー 臼太鼓踊り 宮崎県庁 歓迎する市民に手を振る天皇・皇后両陛下 お召し列車

3.昭和30年代の宮崎
「県政だより№1」(昭和34年)「140年ぶり火を噴く新燃岳」 「古式豊かに神武のやぶさめ」宮崎神宮 「にこにこ顔の新知事、議員さん」当選証書の授与式 「二見知事さん椅子を去る」退任の挨拶をする二見知事 「「躍進政策」をかかげて黒木新知事就任」就任の挨拶 「希望にもえる産業開発青年隊員」入隊式 土木工事 「若き美と力を競う県体」陸上競技

資料協力:宮崎県

原文

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