昭和ニッポン娯楽大辞典
〔未来に生かす記憶〕
「レジャー」といえば、ちょっと海外まで、というのが普通の現代。しかし一昔前までは「レジャー」という言葉なんて言葉もなかった。子どもたちの遊びを中心に、昭和初期から昭和30年代までの庶民の娯楽を紹介する。今では廃れた遊び、今も変わらぬ遊び、遊びから見た日本人の暮らしをたどる。
1.昭和初期のレジャー
昭和6年の木津川水泳場。海水浴場に負けない賑わいの中で、桃山夏期学校の子どもたちが元気いっぱいに遊び、スイカを食べている。今では消えてしまった川遊びだ。
昭和8年頃の春の弘前公園では、桜満開のお祭りに地元の人達がお花見や商売にと賑やかだ。まだ封建的な風潮が残っているのか、街の人達と農民の着物姿はまるで違う。外国人によって撮られた農民の子どもの「遊び」。縄跳びや手作りの飛行機に乗って遊ぶ姿は、日本人カメラマンなら記録に残さなかった視点だ。貧しい生活の中でも子どもの表情は生き生きとして、個性的だ。
・昭和6年(1931)第9回桃山夏期学校 木津川水泳場
・昭和8年(1933)頃 青森県弘前城天守閣
・東奥義塾 雪合戦 スキー
・昭和9年(1934)大縄飛びをする子どもたち(場所不詳)、剣道、木製飛行機に乗って楽しむ子どもたち(推定:横浜)
資料協力:田渕ミヨ 仁木和光
2.時代を反映するレジャー
戦時中の男の子の一番の遊びである戦争ごっこは、「少年部隊」というアマチュア映画になっている。おもちゃの拳銃での戦争ごっこは時代をそのまま反映している。昭和21年の京都では闇市の中でパチンコをしている人達の姿がある。子どもたちは晩御飯のおかず用に魚釣りをしている。その表情は明るい。
・昭和10年(1935)神社の参拝、サッカー場で遊ぶ家族
・葡萄狩り(大阪府堅下村)
・サイクリング(大阪府高石市~京都府宇治)
・「少年部隊」
・昭和15年(1940)「名ピッチャーは前田の昌ちゃん」(兵庫県神戸)
・昭和21年(1946)闇市 露店のパチンコ屋 釣り堀(京都府)
資料協力:米国国立公文書館 岡本哲 宮川正高 礼本守男
3.戦後のレジャー
戦争が終わりしばらくすると、庶民も娯楽を楽しむ余裕が出てきた。京都の下妙党寺町一行は今の宝塚ファミリーランドにバスで遠足。ロープウェイ、ボート、ミニ電車に乗り、動物園を撮影している。
他にも昭和29年には庶民の娯楽として流行していたパチンコ店の様子や、1958年のヒット商品・フラフープで遊ぶ子どもたちを紹介している。
・昭和27年(1952)大縄跳び(京都市中京区)
・宝塚ファミリーランド
・昭和29年(1954)パチンコ店(京都市東山区)
・昭和33年(1958)流行のフラフープ
・昭和35年(1960)旧正月のお祝い(和歌山県雑賀崎)
資料協力:山田金之助