映像イエイッケンブンモオシクナイ ~カメラデワガヤノシアワセヲ~ 資料番号:V1R0222201722

家一軒分も惜しくない ~カメラで我が家の幸せを~

撮影年月
1950年(昭和25年)~1954年(昭和29年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

〔見ればむかし〕
 京呉服商の山田金之助さんは昭和23年(1948)に、疎開先から京都に戻ろうとしたが、当時は戦後の復興途上。大都市への転入は禁止されていた。
 山田さんは結婚することで、ようやく京都に住むことが出来、昭和24年には長男の好孝さんが誕生した。
 戦争を体験した山田さんは当時「自分がいつ死ぬかわからない」という考えから抜けられずにいた。今のような時代が来るとは予想もできない時代だったため、いつまで続くか分からない家族の幸せを映像に残そうと考え16ミリカメラの購入を決意した。とはいえ、当時16ミリカメラは家一軒分より高価で、ライカなどは16万円していた。山田さんは進駐軍のコネでカメラを手に入れる。
 こうして山田さんが撮ったプライベートフィルムを通して昭和25年から29年にかけての山田家の「子育て真っ盛り」時代ヘタイムトラベルする。
 来年は金婚式を迎える山田夫妻がスタジオで玉井アナと当時を語る。妻・千代さんが箒を手に掃除する姿も。
 電気冷蔵庫、掃除機、洗潅機が三種の神器として主婦の憧れになるのは昭和29年のことだ。浴衣をほどいておむつを作る話も出る。家族旅行もいろいろある。遊園地や動物園は再開されて日が浅く、今と比べて少ない遊具で大人も楽しむ姿がある。昭和20年代の映像は珍しく、カラーフィルム(住み込みの使用人の月給より1本が高かった)も美しい。平和な時代の訪れで、明るい人々の表情が印象的だ。

1.カメラで我が家の幸せをⅠ
・山田金之助さん(26才)、千代さん(23才)、好孝ちゃん(1才)
・ちゃぶ台での食事風景
・昭和25年5月 こいのぼり 節句 兜 ちまき 京都市中央区仙念町の住まい 自転車
・商い 反物 そろばんをはじいて商談 手打ち ネクタイで遊ぶ 指人形 おもちゃ 獅子舞
・昭和26年転宅 京都市中京区下妙覚寺町 三輪車 縄跳び 近所の子どもたち
・1951年4月 奈良へ旅行 セーラー服 ベレー帽 猿沢池 奈良の鹿 若草山 東大寺大仏殿

2.カメラで我が家の幸せをⅡ
・北陸を訪ねて 昭和26年 路面電車 京都駅 蒸気機関車 今庄駅 駅弁 小松駅 石川県の生家 反物の商談風景 仮装行列
・粟津温泉 かみや 遊具 ブランコ タクシー
・京都ご自宅近くの公園 ボンネットバス スクーター 滑り台 ブランコ シーソー
・宝塚ファミリーランドへ 昭和27年 子供会の旅行 東本願寺 交通整理 阪急電車 遊園地 ロープウェイ オウムの電車 手漕ぎボート 猿山 銀黒狐 動物園 四条大宮へ帰宅

3.カメラで我が家の幸せをⅢ
・あやめ池遊園地へ 昭和28年 京都駅(昭和27年5月27日完成) あやめ池パラダイス 背広 着物 妹・千賀子さん 洋服 カラーフィルムで撮影 ブランコ 遊具
・1953年盛夏 二見浦避暑之巻 昭和28年 カラーフィルムで撮影 京都駅 車窓に琵琶湖 二見浦駅 旅館 海水浴 海水着 水着 浮き輪 ゴーグル 夫婦岩 船で鳥羽へ
・家政学園幼稚園運動会 昭和29年 好孝くん年長 入場行進 かけっこ 借り物競争 綱引き
・サイドカーでお出かけ 東本願寺 バイオリンをひく好孝くん

お話:山田金之助さん 山田千代さん
協力:山田金之助
著作:ドキュメンタリー新社

原文

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