映像ニホンノココロモトメテ ~ショウワ5・6ネン~ 資料番号:V1R0222201721

日本の心求めて ~昭和5・6年~

撮影年月
1930年(昭和5年)~1931年(昭和6年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
46分15秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

〔見ればむかし〕
 松瀬青々(まつせ せいせい)は明治から昭和の初期にかけて大阪を舞台にその名を知られた俳人。もとは高浜虚子の門人であったが、次第に主観俳句に傾き、倦鳥(けんちょう)を主宰した。主観俳句の旗頭として関西一円に勢力圏を築いた人である。その作風は蕪村の艶麗に芭蕉のわび・さびを加えた独自の、はんなりとしたものだった。
 そんな青々が訪れる秋の木曽と更級には、今では見ることの出来ない風景が多い。 皇室の御料林の木材を運搬する森林鉄遣のSL、大地震で埋没してしまった美しい渓谷などだ。芭蕉の句と青々の句が伝える日本の心。野尻湖近くの芭蕉の旧跡「面影家」、月の名所「田毎」、地獄谷の噴泉、さらに信濃の小林一茶の故郷などを訪れて先人の句をかみしめる青々だ。
 桜の宇治と醍醐も楽しい。はんなりとした、主観俳句とはまさにこれか、という句がいっぱいだ。この頃に、親子ほども歳の離れた若い妻と再婚した青々の還暦とは思えない艶めいた句が見物だ。
 後半は昭和6年(1931) 5月に京都御室の仁和寺で行われた、宇多天皇の1千年回忌と弘法大師1千百年回忌の法要の記録。仁和寺の石堂恵猛門跡が中心になって行われる法要はきらびやか。舞楽奉納やお稚児さんの行列など、滅多に見られない大イベントを一目見ようとつめかけた人々の様子や服装に時代が良く現れている。
 どこを見ても日本の心が溢れんばかりだ。

1.青々吟行Ⅰ
・木曽更科紀行(昭和5年10月20~25日)同行/百瀬句馬 百瀬紀子 
・信州探勝と旧跡歴訪吟行 青々と娘と紀子さん 寝覚の床 吊り橋 中山道 石碑で拓本 木曽川の清流で一句
・大滝村 明治22年御料林 木材の運搬 蒸気機関車
・鞍馬峡の奇勝と紅葉(昭和59年9月14日の地震で失われた風景) 氷ヶ瀬の幽邃境
・長野善光寺参詣(10月23日) 佐藤継信忠信之墓の立札 一茶の旧宅 野尻湖 地獄谷 田毎

2.青々吟行Ⅱ
・宇治醍醐吟行(昭和6年4月12日)同行/百瀬句馬 緒方漠々 長谷川洞川 大林泉郎 山口竹城
・醍醐寺 桜咲く境内 五重塔 花見客 平重衡の墓
・法界寺 日野誕生院 境内でくつろぐ一行 乳薬師
・宇治橋 三室戸寺 万福寺

3.宇多天皇一千年御忌 仁和寺大法要(昭和6年5月6日~10日)
・洛西御室仁和寺 大法要前日の境内 御下賜香炉
・法要第一日 仁和寺門跡御導師 庭儀舞楽 宇多天皇一千年御忌法要 調舞
・法要第ニ日 結縁潅頂 大覚寺門跡腰村大僧正導師 お稚児さん 光孝天皇御陵参拝
・法要第三日 宇多天皇御法要 東寺派管長松永大僧正導師 宇多天皇御陵参拝
・法要第四日 供舞(胡蝶 春庭花 仁和楽)
・法要第五日 歴代門跡御法要 三宝院門跡導師

資料協力:山田昌三、田渕宇一郎、茨木和生、貝塚市教育委員会 著作:ドキュメンタリー新社

原文

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