映像オトクニノムカシ ~ショウワショキ~ 資料番号:V1R0222201718

乙訓のむかし ~昭和初期~

撮影年月
1932年(昭和7年)~1934年(昭和9年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

【見ればむかし】
 昭和7~8年(1932~1933)頃の乙訓郡向日町(おとくにぐんむこうまち)へのタイムトラベル。西国街道が町の真ん中を貫いて走る。両側にはたくさんの商店が立ち並んでいる。大正時代の終わり頃にこの町に転入して、昭和新聞を発行していた吉川民二さんの撮影したものだ。今回の映像のほとんどは吉川さんの制作したもので、人口がまだ6千ほど(現在(※平成10年)の向日市の人口は約6万4千)だった町の様子が手に取るように分かる。
 向陽小学校は当時創立60周年、児童数が千人となって新校舎を建設したものだ。その頃の町の名士がたくさん顔を出している。やはり吉川さんの書いた「乙訓郡史」を参考にそれらの人達の名が特定できるのも面白い。
 学校で行事があるときには必ず近くの神社に全員でお参りに行ったあの頃、また学校の奉安殿の前を通るときの最敬礼など、年配者には思い当たることも多い。
 石塔寺は日蓮宗の本山。南北朝時代の南朝の武将南部師行の遠忌大法要が行われている。村雲御所の門跡尼をはじめ、京都の大本山の管首たちも一堂に集まった大法要だ。この映像は35ミリフィルムで撮影されており60年も前のものとは思えないほど鮮明で撮影はプロの大映。
 昭和9年の消防出初め式は広域のもので、向日町や、大原野、大山崎、神足村などから全員集合。八条池に向かっての放水が勇ましい。消防車などはなく手押しポンプの時代である。消防の人達の法被姿、町中の人々の和服姿、そして子供達の素朴な表情などにのんびりとした良き時代が感じられる。
(向日市文化資料館提供)

1.乙訓のむかし~昭和初期~1
・石塔寺 向陽尋常小学校奉安殿(昭和8年完成) 児童の行進 長岡競馬場
・向陽校校舎増築 竣工式(実写) 昭和8年3月21日 昭和新聞社 活動写真班撮影
 映画班 16ミリのエヌ・サタケ
 総指揮:吉川民二 監督:エヌ・サタケ 技師:細井タカシ 字幕:梶田彰三 現像:田曾絵孝一
 中山純一郎町長(在職1927年~1934年) 向日町役場外観・役場内 竣工式当日の様子 小島政次郎議員 片山圭三議員 長谷川正之助議員 清水庄治郎議員
 河野庄兵衛向陽校長 教員たち 祝辞 生徒代表 児童の作品展示 竣工式後の宴会の様子 新校舎全景
 向日神社に卒業生と保護者が参拝 学生服・セーラー服・和服の児童たち
 入学式 向日神社参道を歩く新一年生

2.乙訓のむかし~昭和初期~2
・向日町の商店(昭和7.8年頃)
 肉屋 瀧本セメント 小野時計店 大西錦湯 高橋写真館 辻山久養堂 松本向陽堂 小林商舗 紅葉屋 戸政建具店 野村食料品店 小山呉服店 島田茶舗 田中医院 植為青果店 今里屋麺類店 パリ―美髪院 マキノ幼児園 羽田歯科医院 かぎ屋延安 大橋代書人 大橋呉服店 上田商店 上村炭店(オート三輪) 仕出しわた治 乙訓銀行 床捨 上田電気商会 床梅
・昭和12年5月8日 石塔寺御遠忌の様子 石塔寺明渡日正上人 向日町片山圭三町長 男爵南部日実上人

3.乙訓のむかし~昭和初期~3
・消防出初式 昭和9年2月10日 昭和新聞社映画班撮影
 吉川民二社主 向日消防組 大原野消防組 神足村消防組 大山崎消防組 八条ヶ池 消防訓練 放水 手押しポンプ 消防組の行進
・向日尋常小学校校庭 体育祭 体操

協力:向日町文化資料館 石塔寺 吉川和子 著作:ドキュメンタリー新社

原文

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