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ニュースで見る太平洋戦争への道

撮影年月
1930年(昭和5年)~1941年(昭和16年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
46分12秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

 1930年代に制作された日本のニュース映画は戦時色に塗りつぶされている。その中から「新興の意気高らかに」をはじめ幻の「東京飛行場起工式」、「軍旗制定ここに50年」などを見る。これは海軍の旭日旗制定から50年の記念式典を撮影したものだ。昭和14年(1939)には「平沼新首相国民へ挨拶」や「前中支最高司令官畑大将の帰還」などが制作されている。戦争に飲み込まれていった日本の状況が明らかになる。
 一方、1939年9月にはヨーロッパで第2次世界大戦が勃発した。枢軸国と手を結んだ日本のニュースには「ドイツの軽戦車最前線へ」、「日独伊三国同盟調印」がある。また1941年、太平洋戦争に入ると「首都重慶大爆撃」「香港陥落」「敵最後の輸血路・海鷲昆明猛撃」など最初は日本の勝利を大宣伝するものが相次ぐが敗色が濃くなる末期のニュースはない。
 敵国であったアメリカでも「アメリカに勝利を!」という映画を残している。真珠湾で日本が宣戦布告なしに奇襲攻撃したことに対し「裏切り」だと激しく責め、これを参戦の埋由にしている。もっとも強烈な印象を残すのは「カミカゼ対米国海軍」。敵艦めがけて突っ込む神風特攻隊の自殺行為、そして燃える米国艦船。日米いずれも戦争ニュースは事実を伝えるよりプロパガンダか優先していることがよくわかる。

1.タイトル、オープニング
 満洲で鉄道を造る人々の映像。

2.昭和14・15年のニュース
・「サクラグラフ 満洲國皇帝陛下御来訪」
 満洲国皇帝・溥儀が来日した時のニュース映像。
・昭和13年(1938)7月 「東京飛行場起工式」
 深川に建設される飛行場の起工式。礎石を沈めている。
・昭和14年(1939) 大阪毎日新聞社・東京日日新聞社「軍艦旗制定 茲(ここ)に五十年 横須賀」
 横須賀鎮守府で記念式典。
・昭和14年(1939)1月 大阪毎日新聞社・東京日日新聞社「平沼新首相 國民へ就任の挨拶 東京」
・昭和14年(1939) 大阪毎日新聞社・東京日日新聞社「前中支最高指揮官 畑大將帰還 南京・東京」
 帰還のため船に乗り込む大将、帝都東京(東京駅)に列車で到着、馬車で皇居に向かう。

第二次世界大戦始る 1939年9月のヨーロッパ
・「ドイツ軍軽戦車隊を最前線へ」
 戦車隊の演習の映像。
・昭和14年(1939)12月 大阪毎日新聞社・東京日日新聞社「獨佛不可侵共同宣言調印 フランス」
 ドイツ外相リッベントロープとフランス外相ボンネが不可侵協同宣言に調印した時の映像。
・昭和15年(1940)9月 日本ニュース「日獨伊三國同盟歴史的調印式 ベルリン」
 ドイツ、イタリア、日本が同盟を結び、ドイツ首相ヒトラーと握手する来栖三郎。

3.対連合国軍との戦いを伝えるニュース
・「抗日首都 重慶大爆撃」
 6月10日、日本軍は重慶を爆撃したニュース。
・「香港陥落」
アメリカが製作したニュース。香港のイギリス軍を攻撃する日本軍、英国軍は1941年12月25日・クリスマスに香港降伏、捕虜になったイギリス軍、戦勝を祝い行進する日本軍。
・「ビルマルート(援蒋ルート)」
 連合国軍の中国支援ルートの攻防に関する映像。
「敵最後の輸血路 海鷲昆明猛爆」昭和17年(1942)10月17日
爆撃機を見送る日本軍の兵士たち。爆弾を投下し、爆発する様子が記録されている。国債の宣伝。

4.アメリカに勝利を
アメリカが伝えた太平洋戦争の報道。
 特攻機が船に突撃する映像、病院を攻撃したことを避難するアメリカ、パネー号事件、日本軍によるビルマルートへの攻撃、重慶への空爆、中国の看護婦、ワシントンで日米交渉にあたる来栖大使と野村大使、アメリカ大統領ローズベルトの演説、真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊するアメリカ人、日本軍と戦うために進軍するアメリカ軍、戦車や兵器、戦闘機の製造。
・1944年10月「アメリカ海軍対日本神風隊」
 アメリカが製作した特攻隊(自殺機)との戦闘についての映像。特攻隊が次々に突撃し、アメリカは対空射撃で応戦するが、船にも損害と犠牲者が出ている様子。激しい戦闘の様子が撮影されている。米軍では無事に戻ってきた機体も着陸に失敗したり、燃料タンクが落ちて爆発したりする事故も起きていた。


(米国国立公文書館、田渕宇一郎提供)

原文