映像センリョウカノニッポンⅢ ー45ネン~49ネンー V1R0222201710

占領下の日本Ⅲ -45年~49年-

撮影年月
1945年(昭和20年)~1949年(昭和24年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
46分15秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

 昭和20年(1945)の敗戦時、日本は81の都市が戦災で焼け野原となり、空襲を受けなかった農村地帯も働き手を戦場に駆り出されて生産力は激滅していた。そんな状態から、日本が急速に立ち直っていく様子を、アメリカが記録した映像の世界にタイムトラベルして見ていく。
 まず昭和20年9月の仙台駅。買い出しの人々の服装に戦争のあとが現れている。窓から汽車に乗り込む者もいる。いつ来るとも知れない汽車を待つ人の列…それに比べ進駐軍の移動は、特別列車でゆとり十分。待合室で飲食しつつ休憩もとれる。勝者と敗者の落差歴然だ。
 現在東松山市になっている埼玉県の唐子村。養蚕と農業で暮らしていた村人と子供たちの生き生きした姿が甦る。今は滅反政策で失われたエネルギーがいっぱいだ。
 昭和24年の東京の生活も描きだされる。魚市場には驚くほどの多くの魚が並び、魚を食べる日本人の生活を細かく記録している。魚をさばく主婦の料理ぶり、家族の食卓などが面白い。ラジオの当時の放送も再現する。さらに当時の電力事情が明らかになる。昭和15年に着工した相模ダムが22年に竣工し、日本最初の多目的ダムとして始動した。終戦当時から停電続きだった東京の電力はようやく安定、ネオンも派手に輝きはじめた。
 銀座を走る路面電車を利用する人の々顔・顔・顔…。昭和24年といえは中小企業の倒産や労働者の首切りなど世相は明るくなかったが、急速に復興への道を走りはじめた日本のバイタリティーを感じるトラベルだ。

1.タイトル、オープニング

2.昭和20年9月宮城県仙台・昭和21年1月大神宮宇治山田(現・伊勢市)
 仙台駅の様子。ホームで列車を待つ人たちのもとに列車が入ってくる。大きな荷物を抱えて乗り込む人々、窓から乗る人もいる。貨物車のホームでは届いた荷物を整理する人々。
 占領軍を乗せた電車が到着、下車する米兵たち。米軍兵士の待合室で食事、休憩をする。
 仙台駅正面。駅には汽車待ちの行列が出来ている。木炭バスが走る。専用列車を乗り換える米兵たち。笑顔で手を振る米兵。
 三重県伊勢神宮外宮の様子。手と口を清める参拝者。豊受姫神(とようけひめのかみ)を祀る豊受大神宮を参拝する人々。

3.昭和22年唐子
 埼玉県比企郡唐子村(現・東松山市)の様子。
 養蚕農家が桑の葉から蚕を捕っている。蚕の繭。大宮市の片倉製糸工場で製糸作業に従事する女性従業員。絹糸になった製品を持つ女性。
 農家の生活。農繁期のため、休みになった唐子村立唐子第一小学校。落ち穂拾い、草刈りをする子どもたち。麦の脱穀作業。麦打ち作業。足踏みの千歯扱きで脱穀。子守をしながら遊ぶ子どもたち。機械を使って作業する農村の人達。藁草履を編む子どもたち。

4.昭和24年の食生活と電力事情
 市場に並ぶ魚を買う女性。食堂で魚定食を食べる男性。主婦が鯛の塩焼きを作る。魚の鱗と内臓を取り、頭と身と尻尾を切る。切った魚を炭火で焼く。カニとエビをゆでる。食卓では真ん中に父親、その左右に母親と娘が座る。
 昭和24年12月電力事情。電気が普及してきたため、乗り物(電車・市電)やネオンサイン、工場の機械に電気が使われるようになる。家庭の中にも安定して電力が供給されるようになり、照明、電熱器を使うことができるようになった。電力の供給を支えるのはダムと発電所。ダム建設を話し合う人達、相模ダム、相模発電所。東京銀座の路面電車を乗降する人々。


協力:米国国立公文書館、埼玉県立民俗文化センター

原文