映像カイソウ マンモウノカイタク -1934ネンー 資料番号:V1R0222201708

回想 満蒙の開拓 -1934年-

撮影年月
1934年(昭和9年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

〔見ればむかし〕
 今回のタイムトラベルは中国東北部、かつての満洲と現在の内蒙古自治区エリア。昭和6年(1931)の満洲事変以来、日本からの開拓移民が次々に入植していく様子を描く。
 最初に登場するのが草原の民。弓道や馬術、相撲などに興じる人々は日本人とほとんど見分けがつかないほど似ている。「パリルドホ」と蒙古語で呼ばれる蒙古相撲は広い草原が舞台。土俵はない。旭鷲山の相撲を彷彿させる相撲に湧く人々の顔は平和そのものだったが…。
 冬には零下50度にもなる極寒の地。そこには日本陸軍は兵士を送り込み、領土の拡大をはかる。「お国のために」と頑張る兵士、日本の国内では大日本国防婦人会がそれを全面的に支持する。満洲や蒙古を開拓するのは日本の使命であるという思想に動かされたこの時代の日本国民であった。自分たちの働きが国の為になると信じて疑わなかった開拓移民の人達の生活ぶりも克明にとらえている。善悪はともかく目的意識を持って労働にいそしむ姿は、今から見れば痛ましくさえある。
 しかし、開拓村に蒙古の人々の姿はなく、「匪族(匪賊)の襲撃」という言菜が聞かれる。士地の人々を排除して開拓村を建設した場合もあったらしい。自分の土地を取り戻したかった現地人を匪族にしてしまったのではないか、など気がかりなことも多いトラベルだ。

1.回想 満蒙の開拓 -1934年-
・1934年頃の蒙古(現在の内蒙古自治区)に暮らす人々の様子
・弓道、競馬、蒙古相撲(パリルドホ)に興じる 蒙古相撲は登場・退場時に踊る仕草を行う
・蒙古帝国の創設者・ジンギスカン・チンギスカン(成吉思汗)
・ガンヂュール廟、ヂヤンチュン廟、ドゴールの居趾といった名所を紹介
・ハンダガヤの景色 アンバハ河の流域 ハロン・アルシャンなど風光明媚な地
・国境近くの日本軍の兵士たちは寒さとも戦う 銃や剣を用いる際には手袋は欠かせない 食事風景 歩哨に立つ兵士
・慰問袋を受け取る兵士 1934年4月結成の大日本婦人会が慰問袋を準備する様子
・零下50度の地へ進軍した兵士たちの姿

2.「拓け満蒙 日本の使命」(満洲教育映画協会製作)
・伸び行く大新京
忠霊塔 満洲中央銀行 電信電話会社 司法部・外交部 康徳会館 憲兵隊司令部 新京駅 関東軍司令部
新京-哈爾浜間ゲージ変更作業の様子 流線型超特急あじあ・あじあ号の勇姿 常に輝く世界記録鉄道作業 哈爾浜の市街地
天理教村・第一次移民地・第二次移民地・第三次移民地・第四次移民地の地図
特別農業移民上陸地・佳木斯の中心地
第一特別農業移民の開拓地・永豊鎮へ 弥栄神社に詣で 異郷に学ぶ小学児童 住宅・学校・子どもたちの姿・トマトや馬鈴薯などの畑作業 農家の副業であるロシヤ漬を作る女性たち

3.続「拓け満蒙 日本の使命」(満洲教育映画協会製作)
・満蒙の土となりて開拓者の英魂は永へに
・半農半牧を目ざして優良種の繁殖 牛や豚など農場の様子 養蜂
・寒さを凌ぐセーターの毛糸はかくして作られる 羊の毛を刈りセーターを編む
・お盆休みの一日は打揃ふての盆踊り
・異境の空にも祖先を弔ふ墓参り
・伐採 農閑期に森林の木を伐採し製材する様子
・個人家屋の建築は- 家屋が作られる工程
・トラクター 沃野の開墾は急がれる
・陸地測量部 掩護隊の苦労
・列車運行の合間にも汽動車(ガソリンカー)
・ここより第三特別農業移民移住地綏稜へ 半農半牧で暮らす人々 皇居遙拝 君が代
・個人家屋の建築
・医療所
・新嫁を迎えて 鉄砲を抱えて新嫁と歩く様子
・雑草を刈り取るリーパー 試作-三十町歩稔れる稲作
・水田班 匪賊の襲撃を撃退せる跡

監修 陸軍歩兵少佐 松井真二
撮影指導並解説 小堀寅次郎
編集 西尾金二郎
撮影 丸子幸一郎 高橋金太郎
選曲 行方伸
録音 振進キネマ社 システム メルベイユ 録音技術 新田発声映画研究所

(ナショナルアーカイブ提供)
協力 米国国立公文書館 著作 ドキュメンタリー新社

原文

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