占領下の日本人 ~昭和21~23年~
前回に続き、アメリカの占領下にあった日本の姿に出会うタイムトラベル。
昭和21年(1946)になると米軍は日本の隅々まで占領の手を広げ、あらゆることを記録している。爆撃の傷痕もまだ癒えない日本を二つの地震が襲った。一つは23年6月の福井大地震だった。どこまでが爆撃による被害かどこからが地震による被害なのか不明だが、高知市と須崎市、そして福井県の被災状況を克明に記録している。それぞれの地方の当時の様子を記録と新聞などから映像とともに再現する。
暗い映像ばかりではない。銀座を我が物顔で闊歩するアメリカ兵たちは陽気なものだ。花の銀座に露天商が並び兵士たちで賑わう。日本人はすきっ腹を抱えてただ行き交うだけだ。京都に傷病兵を見舞うアイゼンハワーのいかにも古都の香りが漂っているような古い京都駅。今は昔の懐かしい映像となっている。
アメリカは日本の教育に大きな関心を払っている。農業学校というフィルムもあった。都内6校の農業高校に聞き合わせてこれが杉並区の都立農芸高校であることが判明。画面に映っていた野田卯一郎さんから当時の状況を聞くことができた。またローマ字学校というものがあった。昭和20年GHQが出した「教育制度に関する管理制作指令」の中に「日本の教科書をローマ字化せよ」という要求があったのだ。
1.昭和21年・南海大地震、昭和23年・福井大地震
昭和21年(1946)12月21日の南海大地震での高知市の被害の様子。
進駐軍の救援物資(毛布、衣類、食糧、薬品など)を運ぶ。
揺れによる被害の他、津波による被害もあり、崩れた建物や決壊した道路、水に浸かった市街地、脱線した線路、陸に上がった船の映像が続く。
高岡郡須崎町(現・須崎市)は津波に襲われた。住民が家財や木材の処理をしている。傾いた家や全壊した家屋、津波で流されたきた木材によって破壊された家、切断された鉄道の線路など、津波の被害がわかる。須崎町の9割は津波による被害だった。
昭和23年6月28日 福井大地震。煙のたつ福井市を空撮。地震で壊れた家が見える。
大きな円形の施設は蒸気機関車の転車台。周りの建物も崩れている。
福井大和百貨店の建物。7階建てのデパートが折れ曲がっている。
福井人絹倉庫株式会社の建物。外壁にはヒビが入り、窓から煙りが出ている。
空撮した飛行機と米兵。カメラマンの名前には「SHAYDAK」とある。
お堀に囲まれた所は福井県庁。
折れ曲がっているのは大和百貨店。その前にあるのは福井信託銀行。
九頭竜川に架かっていた鉄橋も崩れている。川の先の集落も家が倒壊している。煙が出ている所は火災が起きたのか。
九頭竜川の崩れた橋。
地震の被害地の風景。家は倒壊し、水道管が壊れて水浸しになった。
避難者だろうか、荷車に布団などを乗せて運んでいる。
米兵のカメラマン、SHAYDAKさん。
大和百貨店の周辺の風景。
県庁内に設けられた救援活動の拠点、救護所。怪我をした子供を抱えた女性が入ってくる。
米軍のトラックで運搬される負傷者。
県庁内の救護所の様子。
川沿いの道路が地割れで決壊している。
負傷者の手当てにあたる看護婦。
地震で破壊された市街。一面、瓦礫しかない。
線路では鉄道が転覆している。
地震被害地の空撮が続く。
2.新聞文化展・銀座のアメリカ兵・京都のアイゼンハワー元帥
天皇 新聞記者と会見
昭和23年10月5日、天皇皇后両陛下は日本橋三越で開催中の新聞文化展をご覧になった。この展覧会は新聞週間にちなんだもの。
車から降りる両陛下。混雑する会場内。新聞協会理事長から説明を受ける天皇陛下。その姿をカメラに収めようとする報道陣。展示をご覧になる天皇陛下。
展示の様子。新聞の歴史、新聞紙、新聞配達夫の像、印刷道具など。
車に乗車する天皇。天皇皇后両陛下を乗せた車が三越を後にする。
昭和21年8月27日 銀座のアメリカ兵
銀座4丁目の交差点で交通整理をする米兵。その前には車だけでなく路面電車も走る。
PX(進駐軍専用の売店)から出てくる米兵。露天商の商品を見る米兵。下駄を手に取る米兵。
MP、ミリタリーポリスが交差点で交通整理をしている。
交差点の角には被災した銀座三越がある。
松坂屋の前で靴磨き。英語対応が出来る事を表に出すお店。露天を見る米兵。米兵の靴を磨く日本人。靴底も直す。
アクセサリー、日用品、人形、小物入れ履き物等の露天商が並ぶ。
昭和21年5月14日 京都のアイゼンハワー元帥
京都駅前。駅構内の案内板には英語表記がある。
列車が到着し、アイゼンハワー元帥が下車する。同行するアイケルバーガー中将とウッドラフ少将。
第364陸軍病院を視察するアイゼンハワー元帥。
ホテルが用意したデコレーションケーキ。側面に「WELCOME」の文字が見える。
閲兵を行うアイゼンハワー元帥。
3.昭和23年農業学校とローマ字学校
昭和23年4月20日 農業学校
杉並区にある東京都立農芸新制高等学校(現・都立農芸高等学校)の様子。
農作業をする生徒たち。
土ごと摘んだ若い芽を持って授業をする先生と生徒たち。鍬で畑を耕す生徒たち。足にはゲートルを巻き、裸足で作業をしている。隣ではネギの株分けと植えつけをしている。
盆栽。盆栽の先生が実演しながらお手本を見せる。
盆栽の後ろに見えるのは講堂。
鉢植えの植物。温室の中。
昭和23年10月27日 ローマ字学校
小学校4年生と5年生の児童たち。「春待つ心」を歌っている。
ローマ字で書かれた学年クラスと担任教師の名前。
教科書を開いて、読み上げる児童たち。教科書は「TARO SAN」。ローマ字で書かれた教科書の内容。先生がローマ字のカードを提示して児童が反応している。先生の問いかけに手を挙げる児童たち。教師の方を見ながら何か声を出している児童たち。
壁に貼ってある掲示物もアルファベット表記。
教科書を見ながら書き取り。ペンを使っている。インク瓶。机間巡視をする教師。児童達の机には花が飾ってある。
板書する先生。プリントの問題に取り組む児童たち。ローマ字で書かれた掲示物。
歌の歌詞もローマ字で掲示。板書された楽譜にもローマ字の歌詞。
オルガンを伴奏する先生。それに合わせて合唱する児童たち。
(米国国立公文書館提供)