映像センリョウカノニッポンⅠ ~ショウワ20ネン~ V1R0222201706

占領下の日本Ⅰ ~昭和20年~

撮影年月
1945年(昭和20年)8月16日~1945年(昭和20年)12月31日
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
46分15秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

昭和20年(1945)9月25日、和歌山市の二里ガ浜に米軍が上陸用舟艇で実戦さながらに上陸してきた。戦車やジープも続々と陸揚げされる。呆然と見守る日本人もいれは、米軍の徴用に応じて早速資材の運搬を手伝う日本人もいる。その日当は6円。敗戦のため失業していた者たちにはありがたい仕事だった。北海道の小樽などの上陸の様子も見る。札幌での米軍迎えの様子も詳しくわかる。
米軍の進駐後の仕事は武器狩り。宮城県古川町や埼玉県秩父町など、中学校や神社に隠されていた銃や爆弾などがぞくぞくと摘発される。
 学校教育についての調査フィルムも、当時の生徒達の様子を細かく撮影、柔道など延々と映している。
 茨城県の古河町では、子供達が米兵に群がりお菓子をねだる様子をこれまたいやになるほどながながと映している。「ギブ・ミー・チョコレート」の屈辱のシーンである。その中で与えられたアメを断固拒否する赤ちゃんの姿が妙に印象的で面白い。
 埼玉県入間川町では、航空士官学校を接収した米軍が星条旗を掲揚する。この旗は真珠湾攻撃の時にハワイのヒッカム飛行場に掲げられていたもの。それを占領の地で掲げる9月26日の行事である。
 愛媛県松山飛行場では日本の飛行機をすべて焼き払うシーンを見る。軍国主義はこうして消滅したのだ。
 最後は横浜の焼け跡。衣食住すべてが欠乏していた敗戦後まもなくの日本へのタイムトラベルである。

1.タイトル

2.占領軍の上陸
 和歌山県の海岸に完全武装の占領軍が上陸する。ジープなども続々と陸揚げされる。住友金属で働いていた日本人が占領軍に徴用されて仕事をする。占領軍の食事の様子。少し離れた丘から占領軍を眺める日本人。
 兵庫県神戸市に進駐した米軍とその家族。国鉄三宮駅前で報道陣が進駐軍を撮影、市民が進駐軍を見に集まる。阪神電車のりばの前を進軍する兵士たち。
 北海道小樽市へ上陸したアメリカの進駐軍。小樽から札幌へ移動する米軍。北海道新聞の米軍を受け入れるようにという内容の社告。札幌市内の俯瞰。空襲被害はない。千歳空港か?米軍機に乗り込むアメリカ兵。函館にも上陸したアメリカ兵。米兵と少年たち。戦車の上陸。兵舎に到着する歩兵師団。

3.武器の押収
 宮城県古川工業学校 学校に備えられた武器を押収する占領軍。教室では男子生徒が授業を受けている。柔道の稽古 稽古場は畳ではなく藁の敷物を敷いている。数学の授業。休み時間、廊下に出てくる生徒たち。下校時間、目の前は田んぼ。生徒のほどんどは下駄を履いている。
 埼玉県秩父での武器の押収。中学生が武器を運ぶことを手伝う。小学校(国民学校)の校庭で体操をする児童たち。着替えて校舎に入る児童たち。街頭風景。店の前には行列(配給か?)が出来ている。子どもを背負う女性。秩父神社。進駐軍が警察署に入り、武器の押収について話す。神社にある弾薬の山を進駐軍が確認している。
 茨城県古河町 米軍のジープが道を走っている。それを追いかける子ども達。ジープから出てきた米兵にお菓子を求めて群がる子どもたち。子どもの後ろには大人達も集まり、手を伸ばす人もいる。子どもたちが米兵を押し倒す。米兵に古河町の郷土人形を贈る。

4.基地での星条旗掲揚と飛行機の焼却処分
 入間川の星条旗掲揚
 埼玉県入間市の陸軍士官学校へ米軍が進駐し、星条旗を掲揚する式典の様子。修武台を起こして読み上げる米兵。修武台が立っていた所を国旗掲揚台にするため整備する米兵達。セレモニーが始まり、軍楽隊のあとに兵士たちが行進してくる。スピーチする米軍将校。国歌とともに国旗が揚がる。国旗の一部が破れているのは、この旗が真珠湾で攻撃を受けたため。
 日本軍飛行機の破壊 
 愛媛県松山海軍飛行場での飛行機の焼却処分。機体やその周りにガソリンをまいて点火。黒煙をあげて炎上する飛行機。
 横浜の街頭風景。

(ナショナル・アーカイブ提供)

原文