樺太・オホーツク ~1934~PART2

〔見ればむかし〕
60年前とはいえ北洋漁業で活躍する母船は機械化された工場そのものである。各漁業が運んで来る膨大な量の鮭、ます、蟹は見る間に解体されて缶詰になり、塩漬けになっている。現在と違うのは働く人間の数が多く、労働が過酷なことだろう。午前2時には明けて夜の10時に暮れる北洋の海で、不眠不休の労働が続く。小林多喜二の小説で有名になった蟹工船も登場している。捕鯨もある。荒海で働く人の勇姿は逞しく映るが、同時に危険でもある。海だけでなく、樺太は日本のパルプ生産の5割を占めていた、森林伐採作業も危険な作業である。材木を川や海に運び出す筏流し、流れる丸太を操る人々の姿にはハラハラさせられる。また入植した人々の映像もある。5~7年で10町歩を開墾するとその土地が無償で与えられるとはいえ、人間の2倍ほどある根株を掘り起こす作業は並大抵ではない。炭鉱で裸になって掘削している炭鉱夫など必死で働く人々の姿がある。 第1次産業の人口が最も多かった時代を彷彿とさせる。大正13年5月スミス・ネルソン中尉が、昭和6年にはリンドバーグ夫妻がカムチャッカ・千島を経由して霞が関に到着している。定期行路が開け日本にとっていよいよ北緯50度は重要になった。最後にはアメリカ、 ソビエトと戦って日本の生命線として守り抜くことが叫ばれて作品は終わっている。太平洋戦争直前の日本の姿だ。
1.樺太・オホーツク~1934~PART2 Ⅰ
「北進日本 後篇」海軍省所蔵 全国配給:三映社 提供:大阪毎日新聞社・東京日日新聞社 後援:海軍省 津軽要塞司令部許可済
・北洋漁業の様子 網にかかった魚を取る流し網漁の船上
・母船は海上に浮かぶ大きな工場 デッキに積まれた魚は仕分けられ塩漬けや缶詰になる サケ・マス・タラバガニ 機械化された船内は缶詰工場
・甲板でやぶれた網を繕う人たち
・雪と氷に包まれていた北千島の漁港には水産加工の工場が完成 サケやカニの缶詰ができるまでの工程を紹介
・荒波の北洋の海で行われるカニ漁の様子 蟹工船
・取れたタラバガニをさばき缶詰に加工
・くじらの大群に挑む捕鯨船 捕獲の瞬間を撮影
2.樺太・オホーツク~1934~PART2 Ⅱ
・漁船の指導・保護・警備のため農林省および北海道庁からは監視船が出ている
・監視船や駆逐艦が長期間航海できるように海軍の給油艦が支援
・樺太の夏の風景。山脈に生い茂る緑、風に揺れる野花。牧草地に牛、羊、豚
・土地を開墾する人たち 開拓民 トラクターで土地を耕し動力で切り株を抜く様子
・耕した広大な畑に甜菜(テンサイ)や燕麦(エンバク)が実る
・樺太名物の大蕗や海の特産こんぶを収穫する女性たち
・樺太の鉱山で取れる石炭 鉱山の作業やトロッコ
・冬期に森林から切り出した木材が雪解けの川で運ばれる様子 材木の仕分けに掛け声
・筏になり運ばれた材木は漁船に積み込まれ樺太各地へ
・パルプ工場で紙になるまでの作業工程
・ホロナイ川の流域でトナカイの群れと暮らす人たちの生活風景 トナカイ飼育 歌あり
・海豹島に集まるオットセイの大群とロッペン(ウミガラス・海烏)
3.樺太・オホーツク~1934~PART2 Ⅲ
・太平洋を飛行した人びとの解説
・1924年(大正13年)5月23日にシムシル島(サハリン)の海に着水したスミス、ネルソン、ウェイト中尉の映像
・1931年(昭和6年)8月26日に霞ヶ浦に着水したリンドバーグ夫妻の映像
・オホーツク海・ベーリング海の上空をめぐる近況について解説
・国際的緊張の中における北洋拠点の重要性について解説
米国国立公文書館提供
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