東京が壊れた日 ~都市の破壊と再生~
東京は20世紀になってから2度の大きな破壊に遭遇した。大正12年の関東大震災と昭和20年(1945)のB-29 による大空襲である。
第一の破壊から東京が不死鳥のように蘇る様子を、大正から昭和にかけて記録された映像で見ていく。
まず大正10年頃ののどかな東京。車といえば人力車、馬車、荷車だ。人々の服装もレトロだ。…そこを襲った大震災の恐怖が目の前に展開する。被害の大きかった下町の映像は今回の阪神の大災害と重なる。
そして昭和初期、天皇の即位を迎えた東京は早くも復興している。昭和3年に上野で開催された「大礼記念国産振興博覧会」の様子がくわしく記録されている。催し物や町の様子など、書物の記録を実際に動く映像で見るのは楽しい。しかしそれらの中にはその後の日本の軍国化を暗示する軍隊の展示もあり、戦争への道が目前にあることがわかる。5.15 や2·26事件で暗殺された犬養毅、高橋是清ら政治家の在りし日の姿も見える。
そして太平洋戦争。末期の本土空襲で一面の焼け野原になった東京。この後の復興は現在見る通りだが、第3の破壊がないとは誰がいいきれるだろうか…。
1.タイトル・オープニング
2.関東大震災(前編)
大正時代の貴族院と衆議院。日本橋、上野、浅草、凌雲閣(十二階)の賑わう様子。
大正12年9月1日、関東大震災発生。 地割れ、損壊した家、建物。麹町区、日本橋区、神田区、下谷区、浅草区、本所区、深川区での火災。火災による被害が多かった。沢山の荷物を抱えて避難する人々で街があふれかえっている。
火災で焼失した東京市の様子(銀座通り、日本橋区、神田区、下谷区、浅草区、本所区)。
3.「関東大震災」(後編)
この震災に対する救援措置についての政府の動きは早く、寄付金や食糧、救援物資が集まり、米の配給、病院、罹災者の鉄道の無料輸送の様子が撮影されている。
9月21日に本所深川被服廠跡で行われた慰霊祭。僧侶が供養する。誰の骨かわからない遺骨を拾う遺族。
政府は帝都復興のために復興局を設け、街路、橋、公園、小学校を整備、建設していく。
「輝く昭和聖代 御大礼の盛儀」
11月6日、昭和天皇が即位するために皇居を出発し、京都御所を訪れる時の様子。
「大礼大観兵式」
昭和3年12月2日、代々木練兵場で開かれた記念の大観兵式の様子。軍隊、在郷軍人が集まり、日本軍の兵器が公開された。
「御大礼 特別観艦式」
昭和3年12月4日、横浜港で行われた特別観艦式。榛名、金剛、比叡、戦艦長門、陸奥、空母加賀、赤城、巡洋艦衣笠、青葉、名取、那智、五十鈴などの軍艦が一同に集まった。
浅草・上野間に地下鉄が開通した。上野で開催された御大礼記念国産振興博覧会の様子。東京日日新聞が出した、こどものくに。東京を走る路面電車。
東京駅丸の内口、熱海行の列車。
犬養毅内閣が成立するが、犬養首相は暗殺される(5.15事件)。高橋是清が臨時の首相に就く。葬儀に参列するために続々と政界の人々が到着する。一般会葬者、弔問に訪れる人々。
4.大阪公友会 帝都遊覧(昭和9年3月12日)
関東大震災から復旧した東京を東京遊覧バス(通称:青バス)で巡る映像。両国から始まり、震災紀念堂(現・東京都慰霊堂)、浅草の仲見世、浅草寺、鉄筋コンクリートの本堂、浅草六区の賑わい、上野の西郷隆盛の、上野広小路、神田小川町から神保町の書店街、靖国神社、日本橋三越、白木屋、髙島屋、銀座の街頭風景、桜田門、建設中の国会議事堂、皇居で記念撮影、楠木正成の像。
昭和20年8月、空襲で破壊された東京。建物の骨組みを建設する男性。
戦後間もなく、空撮された東京。
使用作品:「関東大震災」
資料提供:米国国立公文書館、田渕宇一郎