愛国の花 ~戦前・戦中の働く女性たち~
太平洋戦争前と戦中の働く女性たちは、男女平等の権利のない中で、家族のため、お国のために働きつづけた。これを農業で働く女性、製糸・紡績で働く女性、従軍看護婦、アメリカの女性挺身隊的労働をしていた女性たちの映像から見ていく。
日本は昭和の始めまで、農業国で米作りが国の基本政策だった。殆どの女性は、農業の労働力として、朝早くから夜遅くまで働き続けたが、その生活は現在と比較にならない程苦しかった。子供の数も多かった。そのために当時復興した繊維産業に口減らしのため、又現金収入を得るために若い女性逹は出稼ぎに出た。繊維産業は、唯一外貨を稼ぎだす日本の重要な産業となっていたが、労働条件は悪く、年季明けを待たずに逃亡する者も出るほど、若い女性にとって厳しい職場だった。昭和12年(1937)日中戦争が起こると、看護婦達は、従軍看護婦として戦地に赴任、戦死した者もいた。日本赤十字社の記録である。そして太平洋戦争中、アメリカのフォード社やボーイング社で戦地に行った男性の代わりに働いた女性の話を紹介する。日本と状況は似ているが、映像からはゆとりと明るさが感じられる。
1.タイトル
2.農村の女性
・稲作農家は手作業で米作りをするため、女性や馬も一緒に仕事をする。子どもを出産しても子守や授乳をしながら働く。田んぼを耕し、肥やしの人糞を水田に蒔く。
田植えに従事する女性は早乙女といい、重要な労働力だった。稲を収穫し、脱穀するのも手作業。
・茶摘みをする女性。
・養蚕に使う桑の栽培、収穫も女性の仕事。桑についた蚕を捕り、蚕の繭を取る女性。仕事の合間に授乳する母親もいる。
赤ん坊の子守をしながら縄跳びで遊ぶ子どもたち。
・紡績工場で働く女性達。大日本紡績株式会社の映像。「輸出報国」のスローガンのもとで紡績業に従事する若い女性たち。この工場では2000人の女性従業員が寮生活をしながら働く。工場では綿糸を作る様子が撮影されている。食事は食堂で仲間たちと食べる。花嫁修業として裁縫の講座を受けることもできた。綿糸から綿生地を製造する。生地は海外へ出荷される。
3.戦ふ女性
従軍看護婦の映像。体操や授業を受ける看護婦たち。夜は宿直の看護婦が患者を見ながら仕事をする。
戦場。戦場に向かう従軍看護婦の壮行式。看護婦、患者たちに見送られて、赤十字の船に乗り戦地へ向かう。
戦地の病院で働く看護婦。そこで亡くなる看護婦もいた。病院船で傷病兵を看病する看護婦。お茶を配ったり、体の清拭、食事の用意、補助等の仕事もある。回復した兵士たちの退院。笑顔で見送る看護婦たち。
4.B17のつくり手たち
・アメリカのボーイング社でB17を製造する女性たちの映像。金属加工、溶接、チューブの製造、爆弾の導線を並べる作業風景。
・自動車会社のフォードが作成した、飛行機増産のための人材募集映画。B24を作る工場では男性が飛行機を組み立てている。一方で、事務職やガソリンスタンドで働く女性、家事をする女性の映像を流し、働くように呼びかける。米国戦時職業紹介所に入る女性。飛行機の仕組みや製造の仕方を習得する女性たち。爆撃機の部品を作る女性たち。爆撃機の組み立ても女性がやる。食事には食堂があり、何かを調べたければ図書室もある。飛行機の組立工場で男性と一緒に働く女性たち。空を飛行する爆撃機。
資料提供:ユニチカ、靖国神社
フォードの飛行機作り(ナショナルアーカイプ提供)