映像カラフトロウマンキコウ~ショウワ10ネンダイ~ 資料番号:V1R0222201766

樺太浪漫紀行~昭和10年代~

撮影年月
1935年(昭和10年)~1944年(昭和19年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
46分10秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

〔見ればむかし〕
 現在のロシア領サハリン島は、1905年の日露戦争以降南半分が日本の領土だった。しかしそのころの記録は意外に少ない。今回のタイムトラベルでは、樺太庁が制作した昭和10年代の貴重な作品「樺太の産業」を紹介する。極寒の地とイメージしがちな樺太だが、その映像は驚くほど豊か自然に溢れている。短い春と夏だが、移住農民が開墾した畑にはエンドウ、ビーツ、ジャガイモやカボチャなどが見事に実っている。牛乳から樺太名産のバターを作る様子も面白い。樺太の主要産物の一つが林業だ。春の雪解け水を使って材木流しが始まる。職人たちが木材に乗って川を下る姿は実に勇敢だ。パルプ工場で紙ができるまでの行程も丁寧に撮影している。
 ニシン漁は何といっても圧巻だ。網からあふれんばかりのニシンが加工場に運ばれる。ニシンの山に埋もれながらの作業風景は、今では決して見られないものだ。
 ロシアと国境を接する樺太は、戦争の色が濃くなると「北の生命線」と呼ばれた。終戦間際の8月9日には、参戦したソ連の侵攻で樺太も大きな犠牲を出した。当時の写真やフィルムはソ連軍にほとんど没収されたので、これは辛うじて残った記録だ。平和な時代の映像はそのすべてを破壊してしまう戦争の虚しさを静かに告発しているようである。

1.「産業の樺太」製作:樺太庁
・樺太の面積は36.090余平方キロメートル 台湾より少し大きい 人口は昭和10年末で約33万2千人
・大雪の中を走る鉄道
・雪原でスキーをする人々 スキーヤー スキージャンプ
・家の中にはペチカやストーブが備えられている
・犬ぞり、馬そりで荷物を運ぶ様子
・凍った幌内川を樺太犬やトナカイの力で運搬
【農業】
・農地開拓のために内地から移り住んだ農民たち 開墾の様子 農家は1万2000戸
・各府県から農家を招くために、樺太庁では農地に適する土地に道路や水道を整備し集団植民地と名付け公告した
・トラクターで木株を引き抜き土地を耕す様子
・移住民に案内などを行う「樺太庁中澤移住者指導所」の外観
・堆肥の散布 樺太では米作りができないため畑作が行われている 生産量を保つため堆肥の散布をする人たち
・プラウ(西洋犂)掛け、ハロー(砕土機)掛け、種まき、覆土
・樺太に適する農作物 豆類では青エンドウやそら豆 根菜類ではビートや馬鈴薯 麦類では小麦や大麦、裸麦、燕麦(えん麦)
・クローバー畑 樺太の家畜は牛、馬、豚、ニワトリ、綿羊、ウサギなど
・麦やキャベツ、馬鈴薯(ジャガイモ)、カボチャなど秋の収穫作業
・冬支度 乳牛の飼育 乳搾り 集乳所 大正中頃から行われているバター製造 テーブルバター

2.【林業】
・8割が森林地帯の樺太
・林野火防組合を各地に設けて山火事の起こりやすい5月から9月まで巡回、警備している
・消防団の消火活動練習や行進
・冬に行われる伐採 のこぎりで木を切り倒す様子
・伐採した針葉樹の葉からは針葉樹葉油を製造
・川岸に積まれた材木・丸太は雪解け水を使って運搬 鉄砲堰 丸太乗り
・筏に組まれて川を下る材木 掛け声とともに作業をする人々
・船に積まれて北海道や内地へ出荷される木材 紙の原料 製紙工場 パルプ工場

3.【水産】
・樺太の鰊(にしん)漁 漁業 ソーラン節
・網を引き揚げる漁師たち 水揚げされた鰊を仕分ける女性たち
【鉱業】
・石炭を中心とする樺太の鉱業 炭坑の様子 ※古い映像のため音声が聞き取りにくい箇所があります
・南樺太炭鉱 内幌低温乾留工場の全景
・石炭に次ぐ鉱業として注目される樺太における含油地帯 石油の試掘
【特殊産業】
・樺太特有の風土に恵まれ大正4年に試験的に始まったキツネの養殖 狐 毛皮
・遠淵湖で採集されるイタニグサは本島の特産 寒天製造 雪を使い漂白 海外に出荷
・海豹島は我が国唯一のオットセイ繁殖地 海岸には樺太庁派遣の監視員の詰め所もある ロッペン鳥の群れ

協力:全国樺太連盟

原文

デジタルアーカイブ
映像のお問い合わせ

資料の利用については5階 映像・音響室のご利用にあたってをご覧ください。

担当:
図書情報部 情報検索係
電話番号:
03-3222-2574
FAX:
03-5216-3152