1945の記録~戦争と市民~
〔見ればむかし〕
1945年。アメリカによる世界大戦後の各国の記録。
アメリカは第二次世界大戦を実に克明に記録しているが、その中から終戦時の世界の国々の混乱とそれに巻き込まれた市民の姿をゆとりある戦勝国の立場で描く。ヨーロッパやアジア諸国の難民達を連合軍はどう統御し、支配したかをアメリカの立場で記録したものだ。
日本は戦争末期、壊滅の危機に瀕しながらも本土決戦を唱える軍部に引きずられて、ポツダム宣言受入れを拒否した。アメリカは実験に成功したばかりの原子爆弾で広島、長崎を破棄し、日本はついに無条件降伏する。アメリカは占領軍として上陸を開始した。ミズーリ号上の降伏文書調印の様子を誇らしげに記録している。日本は軍隊の重荷と封建社会から解放されたのだ、とアメリカはいう。市民たちは自由を獲得した、と歌いあげ、民主主義を学び平和の精神を身につければ、征服戦争の驚異もなくなる。その時我々の占領の仕事も終わるのだと述べている。確かに当時は平和世界に向けて、理想に燃えていたのだが、この後5年でアメリカは朝鮮戦争に突入し、この理想も地に落ちる。戦勝国の立場から常に優位にあったアメリカの一つの「よき時代」といえる。しかし、最後の原子爆弾の実験の記録は、実に恐ろしい。ニューメキシコでこの年の7月16日、実験に成功し、アメリカは早速これを日本の広島・長崎に使用したのだ。戦争終結を早める努力というが、破壊された二つの年の姿を克明に記録し原子爆弾の効果を調査してもここには傷ついた生身の人間は全く登場していない。克明な記録でありながら、国の立場によって全く違う描き方に姿をかえているのだ。最後に日本の立場から鎮魂のため峠三吉の原爆の詩を捧げる。
1.アメリカ陸軍省フィルムニュースⅠ
「市民の避難」
爆撃から逃げる人びと
地下壕から出る人びと
避難所
軍政府将校オフィス
列車への積み込み援助完了
馬車・汽車・船・トラックでの移動
食糧の配給
労働
アメリカ派遣部隊市民関係事務所(AFE)
本国への帰国
2.アメリカ陸軍省フィルムニュースⅡ
「勝利の日」
戦争終わる
日本の本土防衛
広島に原爆投下(8月6日)
長崎に原爆投下(8月9日)
無条件降伏
横須賀に上陸する占領軍
厚木飛行場に散乱する日本の戦闘機の残骸
厚木に到着するダグラス・マッカーサー(8月30日)
米戦艦ミズーリで降伏調印式(9月2日)
マッカーサーの演説
重光葵・梅津美治郎の署名
マッカーサーの署名
フィリピン・バギオ(ルソン島)
米極東軍司令官ジョナサン・ウェーライト
フィリピン第14方面司令官山下奉文
捕虜収容所 捕虜の解放
軍隊の武装解除
東条英機
日本人の自由獲得
民間情報教育局
天皇の人間宣言(1946年1月1日)
巡幸
戦後初の総選挙で婦人参政権実施(4月10日)
鳩山一郎
マッカーサーの言葉
3.アメリカ陸軍省フィルムニュースⅢ
「2つの都市の物語」
アメリカ・ニューメキシコ州で初の原爆実験成功(1945年7月16日)
広島に原爆投下(8月6日)
爆心地の様子・被害状況
中国軍管区司令部・下村時計店・広島護国神社・広島市役所・広島赤十字病院・広島駅・広島県産業奨励館・日本赤十字社広島支部・相生橋・イエズス会長束修練院
長崎に原爆投下(8月9日)
軍需工場の被害状況
三菱長崎製鋼所・三菱長崎兵器製作所茂里工場
「原子爆弾の影響」(米戦略爆撃調査団)
1945年10月1日~20日 原爆被害の実態
広島赤十字病院
戦災患者治療所
資料協力:米国国立公文書館