映像20セイキ・ワガマチ ワガコキョウ~ワカヤマ~ V1R0222201761

20世紀・わが街 わが故郷~和歌山~

撮影年月
1929年(昭和4年)~1971年(昭和46年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
46分10秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

〔見ればむかし〕
 映像で綴る故郷の20世紀。シリーズ7回目は、紀の国・和歌山へのタイムトラベル。戦前から戦後、現代に至るまでの街の移り変わりを、和歌山市を中心に辿る。
 まずは、昭和初期の和歌山へ。昭和4、5年頃の広報映画では、すでに大都市の風格を見せる和歌山市。ブラクリ丁や万市場など街の賑わいも楽しい。
 捕鯨発祥の地・太地は、昭和7年の記録映像。水産専修学校の研究発表として撮影され、昔ながらの鯨踊りを踊る漁師や、真剣な表情で実習を受ける子供たちの姿がある。
 田辺は、昭和7年と9年の映像から。昭和7年11月徳望の紀勢西線が開通し、祝賀の様子が賑やかに映る。派手に飾られた駅前やがて街並み。画面一杯に喜びが伝わる。昭和9年尾の室戸台風の映像では、荒れる海がその凄まじさを物語る。
 昭和12年の御坊では「木の国」ならではの姿が見られる。筏が悠然と日高川を下る様子は、豊かな自然の恵みを感じさせる。
 戦後55年が経ち、その戦禍を記憶する人も減ってきたが、他の都市同様、多くの空襲被害を受けた和歌山。特に工場破壊はひどく、丸善石油と東亜燃料など壊滅的な被害を受けた。米軍の記録映像が戦後の荒廃した街を生々しく映し出す。また、敗戦直後から米軍進駐の拠点となった歴史を持つ和歌山。米兵で溢れ、様相を一変させた街は勝者と敗者の構図をまざまざと見せつける。
 戦後は、3つの作品で見る。戦後の混乱のなか「パンか郷愁か」との反対論も強かった和歌山城再建。その様子

1.昭和初期の和歌山
・1929年 和歌山市製作PR映画
 南海鉄道(現:南海電鉄)和歌山市駅 和歌山城 和歌山市役所 商工会議所 和歌山高等商業学校 京橋 本町通 ブラクリ丁 元寺町 万市場 工場群 紀ノ川での晒し風景 漁港 
・1932年 太地 洋上くじら踊り 太地水産専修学校 東玉次校長 農地を耕す 缶詰工場 定置網実習 万歳をする子どもたち
・1932年11月20日 田辺駅開通 田辺駅前 湊本通 宣伝隊 阪和電車の開通を祝う街の様子 田辺駅ホーム 森熊商店前を旗行列の子どもたち 昭和幼稚園の桃太郎の仮装行列 蒸気機関車 
・1934年9月21日 大暴風 室戸台風 田辺湾 被害状況 会津川 船の流出 
・1937年 山の日高 御坊小学校映画部製作 山だし 本流までの運搬 筏を組む木挽き職人 川下り 日高川 材木問屋 製材所 材木をトロッコで運搬 

2.終戦直後の和歌山
・B29の襲来 爆撃 空襲被害 東京への夜間空襲 
・1946年5月16日撮影 丸善石油下津製油所(現:下津街)・東亜燃料和歌山工場(現:有田市)の空襲被害の様子(空撮)
・焦土となった和歌山市内 和歌山市駅周辺の焼け跡 旧県庁跡(現:汀公園) 
・1945年9月25日 第33師団上陸 二里ケ浜 水陸両用挺で上陸する米軍兵士 上陸の様子を見つめる人びと 住友金属工業株式会社和歌山製鉄所の労働者 和歌山市駅(南海電鉄) 和歌山駅(現:紀和駅) 神戸へ向かう第33師団の兵士たち 

3.戦後の和歌山
「和歌山城再建記」
(制作:1958年)
・空襲で焼失した和歌山城 残る石垣 
・再建工事の様子
・昭和33年10月1日 落成式 
「これからの和歌山市」
(制作:1962年)
・和歌山市広報映画 市制70年記念映画
・和歌山駅 路面電車 工業地帯 漁村 産業 街並み ぶらくり丁 和歌山市役所 保育所 小学校 中学校 高等学校 製鉄工場 空撮 大和歌山港 工場地帯の開発 宅地の開発 道路建設 通勤ラッシュ 交通 
「栄光の影に」
(制作:1971年)
・第26回国民体育大会(黒潮国体)開催(1971年9月・10月)
・和歌山県庁 紀三井寺競技場開会式 
・和歌山軌道線の廃止(1971年3月31日)
・景観整備 
・ラグビー 馬術 陸上 天皇杯の獲得 パレード

資料協力:和歌山市 和歌山市立博物館 太地町立くじらの博物館 田辺市教育委員会 御坊市教育委員会 米国国立公文書館 武本弘

原文