映像タイヘイヨウセンソウ A to Z V1R0222201759

【閲覧注意映像含む】太平洋戦争 A to Z

撮影年月
1941年(昭和16年)12月7日~1945年(昭和20年)8月15日
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
46分10秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

〔見ればむかし〕
 米国国立公文書館にある膨大な記録のなかから、太平洋戦争に関する記録を集め、真珠湾から東京湾までの日本の戦いを振り返ってみる。

1.B29の誕生
これはアメリカ制作によるもので英語のナレーションは当然アメリカの立場で書かれている。それはまず、日本軍がハワイ・オアフ島の真珠湾を奇襲攻撃した1941年12月7日(日本は8日)から始まる。爆撃で炎上する戦艦アリゾナ号。1178人の乗組員の亡骸は今もアリゾナ号とともに海底に眠る。ヒッカム空港と軍の施設は手痛い打撃を受けた。これによってアメリカ人の心に復讐の思いが生まれる。彼らは全力を投入して、兵器をつくり、空からの攻撃用に超空の要塞と呼ばれるB-29爆撃機を作り出した。
 
2.超空の要塞B29 ※30分~死体映像あり
太平洋のマリアナ諸島で米軍は次第に優勢となり、サイパン・グアムを陥落させると、B-29の出番がやってきた。途方もなく大きな荷物を積んで、長距離を燃料補給なしで安全に高度飛行ができるという。まさに超空の要塞だ。マリアナの基地から飛び立ったB-29の最初の標的は東京郊外の中島飛行機製作所。飛行士たちも初めての長距離飛行に、生きて帰れるかどうかの不安があった。1944年11月の爆撃は成功した。


3.日本本土への空襲
この後、悲惨な戦闘で硫黄島を勝ち取ったアメリカは、さらに日本に近い基地を獲得して本土への空襲を強めた。1945年3月10日の東京大空襲の記録はショッキングだ。「日本人はいま真珠湾を奇襲攻撃された我々と同じショックを受けているのだ」というアメリカのナレーションから、彼らにとって真珠湾がいかに屈辱的なものだったかを改めて知らされる。7月26日のポツダム宣言を日本が黙殺。国民は何も知らされないまま原爆の洗礼を受けた。ついに日本が無条件降伏をしたときは、日本中の都市が焼け野原になっていた。貴重なフィルムを通じてこの戦争の始めから終わりまでを目の前に見る度だ。(映像の乱れあり)
・三菱重工業 名古屋航空機製作所
・特殊潜航艇 鮫龍(蛟龍こうりゅう)
・日本のポツダム宣言受諾
・昭和20年8月30日 日本占領
・横須賀上陸
・連合軍捕虜の解放
・ワシントン、サンフランシスコ、ニューヨークタイムズスクエアでの戦勝

資料協力:「From Pael Harber to Tokyo Bay」1941年~(米国国立公文書館)

原文