20世紀・わが街 わが故郷~奈良~
〔見ればむかし〕
20世紀を振り返るわが街シリーズ。5回目は奈良を訪れる。まず奈良公園では百年前の修学旅行の生徒たちに出会う。ほとんどが絣の和服といういでたち。たまに見える洋服姿が珍しい、昭和40年頃の影像だ。
昭和3年の上北山村には立派な村役場や図書館があって驚く。ここは東熊野街道沿いにあって、古くから栄えていた村。カフェもあり、意外な村の記録がよみがえる。
明日香村の古代遺跡の発掘の木ロックも古くからある。昭和初期の石舞台の発掘や、戦後の高松塚古墳の発掘などを見る。今は見られない壁画の生の影像が貴重だ。
奈良は戦災を受けていないが、戦中の映画として「五条警察の一日」がある。スパイを密告する市民の義務をPRするもので、空襲はなくとも確実に人の心を蝕む戦争の一断面が現れている。また戦時中、天皇が行幸して●備や天理で軍事教練をした記録もある。
戦後昭和29年、吉野龍門村の人々の生活の記録が面白い。小学校の生徒たちの素朴な、元気な表情。良い時代だった。だが、伊勢湾台風が吉野町を襲う。吉野川が氾濫し川沿いの民家の被害がひどい。呆然と佇む人々。
上流の入之波(しおのは)は昭和40年代にダムの底に沈んだ。当時の影像が村の様子を忘れじと残している。
昭和45年大阪万博のため奈良でも鉄道整備が盛んに行われた。開発と遺跡発掘が表裏一体となっている奈良は常に歴史を書き換える発見の可能性を秘めて、新しい世紀を迎えようとしている。
1.明治・大正・昭和(初期)
・1876年 奈良県が堺県に合併される
・1900年頃 修学旅行の小学生たち
・昭和初期 奈良公園 春日神社 鹿寄せ 猿沢の池 興福寺 東大寺大仏 春日若宮おん祭御渡式 三笠山
・1914年 奈良大阪間に大阪電気軌道開通
開業日の上本町駅
修学旅行生
・1928年(昭和3年) 吉野郡上北山村 北山自動車 自転車 上北山村役場 河合療院 河合図書館 カフェー 旅館 乳母車 河合消防組の消火訓練 消防車
・1931年(昭和6年)満洲事変勃発
・「陸軍特別大演習」(昭和7年11月)
昭和天皇 戦線御巡視
天理外国語学校 乗鞍山 王寺 信貴山 高安村
・1933年(昭和8年) 飛鳥 石舞台古墳の発掘開始
2.昭和10年代~20年代
・魚吹神社への参拝
・1935年(昭和10年)兵庫・網干小学校の修学旅行
・奉安殿へ最敬礼をする学生たち
・参急電車にて奈良へ 車内の様子 車窓
・畝傍山東北陵(うねびやま) 橿原神宮 東大寺
・「警察のひととき」
王羲之殿堂 信頼之府 五条警察署 警察官
署長 特高主任 経済主任 防諜当番 犯人追跡
・1945年(昭和20年)8月30日 マッカーサー元帥厚木飛行場に到着
・奈良ホテル接収 9月14日撮影
・龍門村(現吉野町) 1954年(昭和29年)
・龍門寺塔跡 発掘調査
・龍門寺村役場 谷口正一村長 失業対策事業 道路拡張工事
・龍門中学校 龍門小学校 子供会 役員選挙 体操
・伊勢湾台風 紀伊半島を縦断 1959年(昭和34年)9月26日
・吉野町南大野 吉野川反乱 被害状況
3.昭和30年代~40年代
・阪奈道路開通 1959年(昭和34年)
・平城宮跡 発掘調査第4次 1959年(昭和34年)
・大膳職跡
・宅地開発
・「早く来い布目川の水」昭和36年 奈良市水道局制作
・団地
・水道局浄水場
・奈良市庁舎
・早く来い布目川の水 運搬
・吉野郡川上村 入之波
・集落を走るバス
・こいのぼり
・入之波小学校
・転校 お別れ会
・林業
・秋祭り 餅つき 餅を丸める高齢者 餅の配布
・引っ越し
・大迫ダム 1974年(昭和49年)完成
・近鉄奈良駅 1965年(昭和40年)
・併用軌道
・油阪駅
・近鉄奈良駅ビル完成 1969年(昭和44年)
・高松宮古墳 1972年(昭和47年)
北壁玄武・極菜壁画婦人像
・大仏殿屋根葺替工事 1974年(昭和49年)
・ホケノ山古墳出土 2000年(平成12年)
資料協力:古林義雄 石川温子 森山紹弘 和田茂 本迫宏典 山中安夫 小泉光子 今西龍一 森孝子 明日香村教育委員会 近畿日本鉄道 上北山村教育委員会 建設省近畿地方建設局 京都大学文学部春日若宮おん祭保存会 網干小学校 吉野町 奈良国立文化財研究所 奈良市水道局 奈良市 川上村教育委員会 東大寺 米国国立公文書館 ニュース・タイム・ジャパン