映像ドクトルヒラマツ ナゴヤノヒビ 資料番号:V1R0222201747

ドクトル平松 名古屋の日々

撮影年月
1937年(昭和12年)~1939年(昭和14年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

〔見ればむかし〕
 昭和12年、鉄道病院の産婦人科医師・平松禮太郎博士は1年あまりの欧米研修から名古屋に帰ってきた。研修中に記録を開始した8ミリは技術が上達し、ドイツから購入してきたフィルムが残っていたこともあって、日常生活の記録が続けられた。今回は昭和12年から14年までの名古屋にタイムトラベル。平松家の次男の淳さんの記憶をもとに様々な歴史の跡をたどってみる。
 記録には当時の海水浴で知多鉄道(現在名鉄)河和の海岸が出てくる。今そこはどうなっているか、現在の映像も併せて見ていくという新しい趣向を取り入れている。
 昭和12年の舞鶴公園には第24代首相・加藤高明の銅像が高々とそびえているが今は台座だけ。戦争中に供出させられた。
 昭和13年には愛知一中(現在旭丘高校)で、来日したヒットラーユーゲントと中学生たちの交歓が行われた。当時の新聞の熱狂ぶりに時代を見る。淳さんは一中の生徒としてこの校庭での交歓会に参加していた。その時のことをよく記憶している。その前年には汎太平洋平和博覧会も開催された。この跡地はあっという間に軍需工場になったという。平和を謳歌していた日本がほんの2~3年のうちに戦争への道をまっしぐらに突き進み、思いもかけない状況に入っていった、と淳さんは語る。
 ドクトル平松の病院での手術の記録。医師や看護婦さんたちの運動会。俵かつぎや包帯巻きなど珍しい競争がいろいろだ。こうした60年前の映像に混じって新しい名古屋の姿が登場する。鉄道病院は今? 愛知一中は今? そして、あの戦災で焼けた名古屋の街は今? 新しく出来た地上250数メートルの名古屋駅ビルの51階から見下ろした市街地と見比べる。

1.ドクトル平松 名古屋の日々Ⅰ
・昭和12年 医学博士平松禮太郎さんと家族
・平松家外観 国旗 着物 愛知一中に通う淳さんの夏服
・名古屋汎太平洋平和博覧会(昭和12年3月15日~5月31日) サーカス 京都館
・名古屋鉄道病院産婦人科 手術 医師と看護師のラジオ体操 眼科の医師 鉄道病院跡

2.ドクトル平松 名古屋の日々Ⅱ
・昭和13年頃 鶴舞公園 名古屋市公会堂 加藤高明銅像(戦時中の供出で現在は台座のみ)
・兄の健さんの浴衣 母方の祖母の庭 柄杓で水やり 庭掃除 滑り台 ラッパを吹く子ども 鉄兜 提灯 三輪車 家族運動会
・知多郡河和口 海水浴 知多鉄道河和口駅 海の家 半田市戸塚 海水着 水着 温浴場 知多鉄道名鉄電車遊園地 ヨット 手漕ぎボート

3.ドクトル平松 名古屋の日々Ⅲ
・昭和13年10月6日 日独の旗 ヒトラーユーゲント 名古屋新聞・新愛知新聞紙面 愛知第一中学校(現在:旭丘高校) マラソン王日比野寛(元愛知一中校長)
・サッカーの試合 愛知一中対ヒトラーユーゲント 日比野元校長の銅像前で記念撮影 植樹
・愛知第一中学校校歌「山には虎狼むらがりて」
・昭和14年 もんぺ初登場 手代町の消火演習 防空演習
・鉄道病院の大運動会 昭和15年10月19日 ラジオ体操 徒競走 提灯競争 縄跳び競争 俵担ぎ競争 ウナギつかみ 包帯巻き競争 パン食い競争

協力:平松淳 名古屋市政資料館 著作:ドキュメンタリー新社

原文

デジタルアーカイブ
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