戦後の世相 ア・ラ・カルト~昭和20年代~
〔見ればむかし〕
1.天皇の日本巡幸
太平洋戦争敗戦の翌年、昭和21年1月1日、それまで神とされていた天皇が「人間宣言」。2月19日からは、国民の前に自分の姿を示す「全国巡幸」に出発した。
川崎市の昭和電工と横浜市の日産重工業(現在の日産自動車)をご訪問の映像がある。初めて天皇と間近に接した従業員たちの緊張の面持ち。まだ天皇が神様であった時代から抜け出せない様子だ。沿道で礼儀正しくお迎えする人々の姿。当時の新聞記事から解説する。
同年10月25日、岐阜県の日本電気大垣製造所への巡幸記録は日本電気ニュース(1946年10月第1号)に残っていた。当時の従業員たちの働きぶりや組合活動なども見ることができる。
・「日本電気ニュース」1946.10 №1「10月25日天皇陛下大垣製造所にお成り」「若い力の躍動」「大垣製造所における生産復興運動」「搬送電話装置について」
資料協力:日本電気株式会社・米国国立公文書館
2.昭和22年の世相・街頭風景
昭和22年の東京の様子も米軍の記録に詳しく残されている。浅草・上野あたりのヤミ市。標準価格(公定価格ともいわれる)の百倍にもなる肉や果物の値段。主食の米がないため代用品として配給になったジャガイモに行列を作る人々。配給切符を持って魚屋の店先に並ぶ人も入る。だが一方で、そんな人々を尻目にウナギの蒲焼きが店先に並んでいたりもする、無秩序と混沌の都であった。
同じ年の銀座、クリスマスのショッピングに行列を作るアメリカの軍人とその家族たち。デパートが彼ら専用のショッピングセンターになり、まるで別世界のようだ。日本人は・・・というと締め出しをくらう有り様だ。しかし、当時の日本人の中には占領軍を救世主と思い、マッカーサーをアメリカの大統領にしたいと切望する人もいた。そんな人がPR活動をしている珍しい映像もある。
・クリスマスラッシュ 昭和22年12月6日 シルク製品の店
・メーデー 昭和23年5月1日(カメラマンスズキ) 芝増上寺前
3.高松宮の工場ご視察・保育園で過ごす園児の1日
天皇の全国巡幸は昭和29年に終わる。その前の年(昭和28年)に、滋賀県の祇王村で保育園の園児の1日を記録した貴重なフィルムがある。
・昭和27年11月17日 「高松宮殿下久保田竣工堺工場をご視察」クボタニュース(日本電報通信社映画部)
資料協力:古林義雄さん・祇王明照保育園