映像キョウトノシデンガキエタヒ V1R0222201740

京都の市電が消えた日

撮影年月
1961年(昭和36年)~1978年(昭和53年)
コレクション(提供者)
映像タイムトラベル
撮影
発行
製作
ドキュメンタリー工房
配給
時間
46分10秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩有 音声有 貸出不可
内容

〔見ればむかし〕
 昭和36年7月31日に京都市電の北野線が廃止された。この線路は市電では珍しい狭軌であったため車体が小さくてかわいい、と人気だった。この後、昭和53年にかけて京都の市電はすべて廃止されていく。今回は、この17年間の京都市電サヨナラをすべて撮影した山下勝久さんの8ミリ映像を手掛かりに、この時代にタイムトラベルする。
 明治28年、日本で初めて路面電車が京都の街に現れた。
 当時は京都電気鉄道(京電)で、狭軌だったが、大正7年に京都市に買収されて市電となった。北野線のほか伏見線もあり、ほかは標準の軌道に変更したが北野線だけは狭軌のまま走っていたのだ。そのため四条堀川から上立売の間が珍しい3本レールになっていた。いよいよサヨナラというので沢山の客が乗り込み、最後のパレードが繰り広げられる。北野線に次いで伏見・稲荷線が昭和45年3月31日に廃止となった。ここでは京阪電車との平面交差の映像が見られる。
 京都市の中心部から市電が消えたのは昭和47年、49年、51年、53年と2年おきになっている。四条線、烏丸線では祇園祭をからめて撮影されており面白い。山鉾巡行の妨げにならぬよう市電の電線を片寄せしたり切断したりする。烏丸線が四条通を横切るとき、電車を惰性で走らせる惰行運転が今は昔の懐かしさで蘇る。こうしてそれぞれの線について、懐かしいポイントを紹介して進めていく。都市に路面電車の復活を望む声も出ている現在、チンチン電車ののどかな旅は失ったものの良さを思い出させてくれそうだ。

1.さよなら京都の市電Ⅰ
(山下勝久さん撮影・談話)
・さよなら北野線
 京都市電 北野線(昭和36年7月31日 廃止) 花飾り 最終日の運行の様子
 堀川通 N(狭軌)Ⅰ型 復元第1号車 車窓から 四条堀川 二条城 堀川中立売 京都駅前 ポールまわし 西洞院通 四条通 
・トロリーバス(トロバス)(昭和44年9月30日廃止)
 四条大宮-松尾橋 
・伏見・稲荷線(昭和45年3月31日廃止)
 竹田街道 勧進橋 稲荷 奈良線の蒸気機関車 平面交差 

2.さよなら京都の市電Ⅱ
・四条通 祇園祭(昭和46年撮影)
 四条線(昭和47年1月22日廃止) 四条大宮 阪急電車大宮駅 急行運転 惰行運転 Zパンダ ビューゲル 
・烏丸線(昭和49年3月31日廃止)
・今出川・丸太町・白川線(昭和51年3月31日廃止) 丸太町 堀川丸太町 府庁前 烏丸丸太町 車内の様子 天王町 錦林車庫前(白川通) 加茂大橋 河原町今出川 信号 
・河原町線(昭和52年9月30日) 京都市役所(河原町御池) 車内風景 洛北高校前 北大路通 京都駅前 

3.さよなら京都の市電Ⅲ
・北大路・九条・東山・西大路・七条線(昭和53年9月30日廃止) 九条通 智積院前(東山七条) 七条大橋 西大路三条 西大路御池 左大文字 衣笠校前 烏丸車庫前 塩小路通 西大路九条 京都駅前 新快速のネオン 終電間近の市電 

資料協力:山下勝久

原文