希望の船出~ブラジルへ渡った人々~
〔見ればむかし〕
大阪商船三井船舶の所蔵フィルムで、南米移民の華やかな時代へタイムトラベルする。大阪商船と三井船舶は昭和39年に合併したが、ここで見る「希望にのせて」「ブラジルの農業」は昭和30年代に大阪商船が制作したもの。大阪商船では戦前に13万8千人、戦後に5万人の移民を南米に運んだ。戦後の移民は昭和27年から始まり昭和30年代半ばに最盛期を迎えた。今回は移民のための”あるぜんちな丸(2世)」”の起工から進水式までを記録し、さらに関西の一地方からブラジルへ向けて船出していく家族たちの姿をとらえている。横浜港での別れのシーンは涙を誘う。フィルムはこれを「希望の船出」として、新しい国への夢を思い描かせる。
そして「ブラジルの農業」では日本人移民が苦労して森林を切り開き、米や綿花、コーヒーなどを耕作して収穫し出荷する様子を記録している。まだ機械農業が発達する前の広大な原野でのブラジル移民の活躍を見る。
昭和35年にピークに達した移民は、日本国内の 高度経済成長につれて衰退の一途をたどり、47年には終焉を迎えた。それとともに、移民船は転身への路をたどる。
海外旅行の自由化とレジャー指向が高まる社会のニーズにこたえて、レジャー施設を増強したクルーズ客船に変身したあるぜんちな丸とぶらじる丸。南米航路の「魅惑の船旅」では港の別れも明るさいっぱい、移民船時代との違いがはっきりと出ていて時代の変化を感じさせる。
1.新天地へ希望の旅立ち あるぜんちな丸の誕生
「希望をのせて-移民船の誕生-」企画・大阪商船株式会社 製作・アジア映画社
・ブラジルの移住者
・昭和33年6月18日 ブラジル移民50年の記念日
・昭和32年10月11日 あるぜんちな丸 起工式(新三菱重工神戸造船所)
・昭和33年2月8日 あるぜんちな丸 進水式
・大阪商船 伊藤社長命名
・船内の様子 豪華な一等食堂・喫煙室・社交室・一等船室・二等船室・食堂・酒場・ベランダ・三等船室・子ども部屋・医療設備・産室・病室・理髪室
・試運転
・昭和33年5月10日皇太子殿下ご訪問 船長の案内
・処女航海
・故郷を離れる家族 見送る村の人びと 一路汽車で神戸へ
・神戸移住斡旋所に到着 ブラジル総領事より移民者の心得と言語や生活習慣を学ぶ
・昭和33年6月2日 横浜港に集まる移民者 140家族849人の移民者が乗船し出航
・紙テープ 見送る大勢の人びと
2.ブラジルにおける農業
「ブラジルの農業」提供・大阪商船株式会社
・ブラジル・サントス港 ぶらじる丸の到着 出迎える人びと
・下船する移住者
・入植地での農業 胡椒 米 綿 ラミ麻 薄荷 養鶏 山焼き コーヒーの栽培
3.南米への船旅
「魅惑の船旅-南米船路-」大阪商船三井船舶株式会社・商船三井客船株式会社
・クルーズ船あるぜんちな丸・ぶらじる丸の就航
・案内所・寝室・カードルーム・理髪室・診察室・娯楽室・社交室・チルドレンルーム・食堂・生け花教室・茶道・プール・盆踊り
協力:大阪商船三井船舶株式会社
「希望をのせて(1)(2)」昭和33年(大阪商船三井船舶株式会社)
「魅惑の船旅~南米航路~」昭和4?年(大阪商船三井船舶株式会社)
「ブラジルの農業」不明(大阪商船三井船舶株式会社)