記録・軍国の行進 ~満州事変から熱河攻略まで~
昭和6年(1931)から8年にかけての中国東北への旅。日本がいわゆる「満洲国」を建設したころへのタイムトラベルだ。主として「アローグラフ」という「朝日新聞映像ニュース」を見ながら、満洲事変の発端の現地の様子を知る。「五族協和のため王道楽土を築く」という関東軍参謀・石原莞爾の理想論もむなしく、軍国主義の行進は次々と中国東北を侵略していった。奉天から長春、吉林へ、さらに奥地のチチハルヘと「行軍」 の攻略は続く。北辺が制圧されると、南部へ錦州、朝陽そして熱河へ…ついに東北を制圧するまでのプロセスが克明に書き出される。止めようのない軍国の行進のおそろしさが迫ってくる。
1.タイトル
2.奉天からチチハルへの進軍
「朝日新聞映画ニュース 満洲事変 日支両軍交戦映画」昭和6年9月
満洲事変以後の奉天、長春(新京)、吉林、錦州での日本軍の映像。
「朝日新聞映画ニュース 繞陽河戦画報」昭和6年11月
進軍する日本軍、慰問袋を受け取る日本兵、日本軍の増援。
「朝日新聞映画ニュース 遼河・田庄台激戦画報」昭和6年12月26日
錦州攻略戦
「朝日新聞映画ニュース 錦州方面の匪賊を討伐 盤山戦」昭和6年12月
「朝日新聞映画ニュース 溝帮子を占拠して錦州へ」昭和7年1月1日
錦州に無血入城した日本軍。
「朝日新聞映画ニュース 皇軍錦州城に入る 第一報」昭和7年1月
「朝日新聞映画ニュース 皇軍チチハルへ進撃入城」昭和6年11月
チチハルに進軍、11月にチチハルを占領。
3.関西での大演習
「軍国の秋 (陸軍特別大演習御統監)」
昭和7年11月11~13日、陸軍特別大演習が奈良、大阪で実施された。
天皇を迎える大阪市は奉迎準備で賑わう。花電車が走る大阪市。再建された大阪城。
大阪に到着した天皇陛下。翌日、畝傍御陵を訪れる。
奈良県天理で大演習。
11月14日、大阪城東練兵場にて観兵式。
11月15日、桃山御陵を参拝する天皇。愛国献納兵器もご覧になる。
11月16日、大阪城東練兵場にて御親閲式。
「各国の精鋭」
アメリカの陸軍記念日(ニューヨーク) 米軍の軍隊パレード。
ドイツ陸軍自動車隊(ベルリン) 悪路でも走る車、急斜面を降りる車、バイク。
イタリア 皇帝陛下の御親閲を仰ぐイタリー軍の精鋭(ローマ)
ソビエト連邦軍(ソ連)の海岸防備兵の演習。歌を唄い、コサックダンスを踊る兵士。
4.熱河討伐
「朝日新聞映画ニュース 熱河討伐 第一報 通遼方面より進撃」昭和8年2月20日
「朝日新聞映画ニュース 熱河討伐 第二報 通遼方面情報」昭和8年2月21日
「朝日新聞映画ニュース 熱河討伐 第三報 錦州方面」昭和8年2月23日
「朝日新聞映画ニュース 熱河討伐 第四報 通遼方面」昭和8年2月25日
「朝日新聞映画ニュース ○部隊堂々朝陽に入城す 第五報」昭和8年2月27日
「快速討伐 熱河入城 朝日新聞映画ニュース 皇軍遂に承徳に入城 熱河討伐 第六報」昭和8年3月6日
日本軍の熱河(ねっか)作戦を伝えるニュース。日本の関東軍が朝陽(ちょうよう)、平泉、承徳を占領していく。
映像№ 896 熱河討伐 (田渕宇一郎提供)