映像シンニホンニュースダイ205ゴウ V1R0114201629

新日本ニュース第205号

撮影年月
1949年(昭和24年)12月~1949年(昭和24年)12月
コレクション(提供者)
日本ニュース
撮影
発行
製作
株式会社日本映画社
配給
時間
6分16秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩無 音声有 貸出不可
内容

1.食確法 ポ政令で公布
 食糧確保臨時措置法改正案は、その後参議院で審議未了となったため、政府は12月7日、ポツダム政令を適用、即日施行した。昭和24年は190万トンを輸入に頼らざるを得なかったとしても、食糧事情の好転した年であり、一方、世界的な穀類の値下がりで農民には統制撤廃反対の気運も出ていた年であり、食確法成立にGHQが、なぜむきになったか疑問とされた。(朝日新聞 24年12月8日 社説)

2.来る人 帰る人 行く人
 ヴォーリズ米陸軍次官来日(羽田)
  トレーシー・ボリーズ米陸軍次官は米陸軍参謀長代理らと12月5日、羽田空港に到着、マッカーサー元帥の出迎えを受けた。ボリーズ次官は冷戦下、早期講和が行われた場合の米軍基地維持計画について、GHQと協議したといわれる。
 ドッジ米顧問帰米(横浜港)
  GHQのドッジ財政顧問は来日以来1か月余りにわたる、日本の財政・金融状態の外科手術を終え、12月5日午前1時、プレジデント・クリーブランド号で関係者の見送りを受け帰米した。
 南原東大総長の訪米
  南原総長は、12月9日・10日ワシントンで行われる教育審議会占領地域委員会に出席のため12月5日、羽田発のノースウエスト機で出発した。

3.“千人の交響曲”
 ゲーテ生誕200年を記念して12月8日、日本交響楽団は第312階定期公演で、ファウストにちなんだマーラーの第8交響曲を日比谷公会堂で演奏した。これは、2階まで1.000人近い合唱団を配置する大規模な公演だった。

4.やって来た年の暮(東京・大阪・福岡)
・銀座で青酸カリ殺人事件(東京)
 銀座7丁目のビヤホール「ミュンヘン」で12月7日朝、ニュートーキョー接客係一戸清英さんが殺されているのが発見された。築地署の調べで死因は青酸中毒と判明、店も荒らされているところから殺人事件として捜査が始まった。
・人気上昇宝塚スター(東京)
 9月からNHKラジオで「宝塚パレード」が放送開始以来、乙羽信子、春日野八千代らスターの活躍で宝塚ファンが激増した。大スターを求め女学生らが東京宝塚劇場楽屋口に群がった。
・専売公社でタバコのPR作戦(大阪)
 昭和24年6月専売公社が新発足し、タバコの増産も軌道に乗ったが、密造タバコや占領軍から流れる外国勢ヤミタバコが脅威となり、徹底取り締まりを行うと同時にPR作戦も展開した。
・不景気でヤケクソ投げ売り販売(大阪)
 相次ぐ物価の値上がりと金詰まりで、国民の財布のひもが固くなり、商店街の人出は去年より増加しているのに売上げは昨年の半分におち、商店では投げ売りも始まった。
・金のつかみ取り大会(大阪)
 内外の需要減から第一次基礎産業の未払金が激増し、また、大幅な値上げによる売り上げ不振から客寄せの手段として大阪では”金のつかみ取り大会”を行う商店も現れた。
・越年手当闘争はじまる
 確定した予算は絶対に変えないドッジラインのもと、国鉄や公務員を中心に年末賞与の要求運動がおこり、左派にかわり労働戦線の指導権を握った民同の合法闘争が注目の的となってきた。街には、流行のサンドイッチマンスタイルのデモ行進が見られたりし、一時的の強烈な闘争は影をひそめた。

原文

New Nippon news No.205