映像センリョウグン ノ カツドウ ト サセボシ ノ クウシュウ ヒガイ V1R0101201537

占領軍の活動と佐世保市の空襲被害 1945年9-10月

撮影年月
1945年(昭和20年)9月22日~1945年(昭和20年)9月23日
コレクション(提供者)
米国国立公文書館(National Archives and Records Administration)
撮影
海兵隊
発行
製作
配給
時間
10分40秒
米国国立公文書館オリジナル番号
127-R-2421
視聴可 色彩有 音声無 貸出可
内容

長崎県佐世保市の記録。廃墟となった市街地では、粗末な家で生活を始めた人びとの姿が見え、洗濯物がゆれている。焼け残った電話局や佐世保市役所、亀山八幡宮の鳥居。海兵隊宿舎からジープが出てくる。
佐世保埠頭から港町を撮影した映像には、道端で煙草を吸う海兵隊員ら。日本人の警察官が日本人女性と会話をしている。日令通り角の理髪店「平和軒」、建物疎開区域となった場所では、建物が取り壊されて瓦礫が散乱している。夜店通り(佐世保市下京区町)は人びとで賑わっている。新聞販売所には「NEWS PAPER」「配達員急募」の張り紙。佐世保郵便局の窓口が映し出され、郵便局の赤いトラックが走り過ぎる。

・九州地方、長崎県佐世保市の埠頭周辺の建物の残骸。
・小屋のような家で生活する人々。周囲は瓦礫。手前には防火水槽がある。
・洗濯物が干してある。
・瓦礫の映像からスライドして奥に見える白と黒の建物は電話局。
・市街地の様子。中央に建つ建物は佐世保市役所で外郭だけが残った。周辺にはバラック小屋がいくつか建てられている。
・佐世保市内を流れる川、佐世保川だろうか。
・焼け跡に建つ鳥居は亀山八幡宮のもの。鳥居の奥には佐世保海軍工廠現業員共済会建立の招魂碑が見える。
・亀山八幡宮。
・家の前の瓦礫を片付けている日本人。
・家の前には一面の瓦礫が広がる。
・ジープが通り過ぎる。
・家屋の前で農作業をする日本人や通り過ぎる人々。
・空襲を免れた家屋と瓦礫が混在している。
・川沿いの家屋。
・バイクに乗ったMPが橋を渡って衛兵門へ向かう。
・海兵隊宿舎、その前にはジープが停まっている。
・海兵隊宿舎。
・ジープに乗って走り過ぎる海兵隊員。

・佐世保の埠頭から港町の風景を撮影。船や住宅が並ぶ。
・道路で煙草を吸っている海兵隊員たち。
・道を歩く海兵隊員カメラマン。
・瓦礫の前で話す警察官と女性。別の男性が警察官に何か尋ねている。その前をジープが通る。
・損傷した家屋や商店。その前には瓦礫が残る。この区画は空襲の前に建物疎開していた。
・赤い傘を差して歩く女性。
・日冷通り角の理髪店「美髪 平和軒」
・焼け跡に洗濯物が干してある。ここは建物疎開で建物が取り壊されていた。
・夜店通り(現・四ヶ町)。警察官が立っている。自転車で通り過ぎる日本人。
・リヤカーで木材を運ぶ男性。その奥には子どもたちが集まっている。
・角にある建物「手荷物小荷物一時預所」
・赤ん坊をおんぶする子ども。
・新聞を読む大人たち。
・「NEWS PAPER」「配達員急募」の張り紙。
・瓦礫の奥には、松浦線の高架線が見える。
・佐世保郵便局郵便課

・郵便局の赤いトラックが走る。
・看板「株式会社日本貯蓄銀行佐世保支店■営業所」
・瓦礫の中に家屋を建てている。坂の上にも家屋。
・焼け跡を、荷物を持って歩く日本人。
・空襲の焼け跡。
・玉屋デパート
・焼け跡の風景。
・海兵隊のジープが浜田町のロータリーを通り過ぎる。
・焼け残った、親和銀行浜田町支店の金庫。
・トラックに日本の青年が10人は乗っている。
・鉄骨と壁(塀?)の一部が残った。
・門の隣に防火用水槽がある。
・両脇に瓦礫が残る道路を三輪トラックで日本の青年たちが走る。
・佐世保電気通信工事局
・佐世保郵便局電信課

・建物から出てくる海兵隊員と日本人。

・接収したと思われる建物から出てくる米軍将校たち。
・建物の前で話している。地図を広げて囲んで見る米軍将校たち。

・将校たちは何やら話し合っている。手前に映っている隊員たちは待機中。
・戦車が並ぶ。
・ジープと戦車が走る。
・海兵隊を運んできた揚陸艦から戦車などが下船している。

原文

Occupation forces’ activities and air damage to city Sasebo Sept & Oct 1945