映像ニホングン ヘイシ ノ チョウセン ハントウ カラ サセボ ヘノ キカン V1R0101201534

日本軍兵士の朝鮮半島から佐世保への帰還 1945年10月

撮影年月
1945年(昭和20年)10月
コレクション(提供者)
米国国立公文書館(National Archives and Records Administration)
撮影
海兵隊
発行
製作
配給
時間
8分49秒
米国国立公文書館オリジナル番号
127-R-908
視聴可 色彩有 音声無 貸出可
内容

佐賀県の飛行場、目達原飛行場だろうか。日本軍の戦闘機が並び、中には大破している機もある。カチンコには「Umi Village Fukuoka Japan」と書かれているが、宇美町のことだろうか。住居内の様子が撮影されている。続いて昭和20年(1945)10月14日の佐世保市浦頭に引揚第一船が入港した時の記録。朝鮮(済州島)から陸軍復員部隊9,997名が米軍の戦車揚陸艦で帰国した。彼らは検疫を受け、その後引揚援護局が管理する収容所まで徒歩で移動している。


1945年10月12日 日本の飛行場と飛行機 佐賀県
・飛行場に大破した日本軍の戦闘機。
・戦闘機の計器盤。
・ひっくり返った戦闘機。
・飛行機のプロペラが草地に置いてある。
・飛行場に並べられた日本軍の戦闘機。戦闘機の手前にはプロペラ等が置かれている。
・これらの飛行機は、アメリカ製F-51マスタングと似ているが、日本の記章が付いている。
・飛行場に並べられた零戦らしき戦闘機。

米第5海兵師団撮影
1945年10月9日 福岡県の村 中国人と日本人の賃金紛争をめぐる会談(と、カチンコには書かれている)
・MPの車
・屋外、住民たちがいる前で中国人(帽子をかぶっている方だろうか)と日本人が話している。
・屋内に入る人々。

1945年10月9日 福岡県の村 台所と住居
・映像は暗いが、台所を撮影か。竃の火が燃えている。
・住居を撮影しているが、暗くて不鮮明。

1945年10月14日 佐世保市浦頭に引揚第一船入港。復員者の帰国。
米軍の戦車揚陸艦に乗って朝鮮(済州島)から帰国した日本軍(陸軍復員部隊)。
・笑顔の日本人女性の顔。背景には青空。
・埠頭に入ってくる戦車揚陸艦。この船には韓国から引き揚げた日本軍兵士を乗せている。
・揚陸艦から埠頭に下船して進む日本軍兵士の列。彼らは荷物を持っている。
・日本軍兵士が大勢乗っている揚陸艦。
・下船する日本軍兵士たちを上から見下ろすアメリカ人。
・浦頭検疫所にて、荷物を降ろし、服を脱いで、検査を受ける準備をする兵士たち。
・カメラの前を通り過ぎる日本軍兵士。荷物を背負っている。検疫が終わり、収容所へ向かう復員兵士たち。
・検疫の様子。上半身裸になり、医療検査を受ける兵士と検査をする日本の医療従事者。口の中も調べている。
・褌姿の兵士。
・兵士たちを診察する医師。診察を受けるために並ぶ兵士たち。
・診察が終わった兵士たちは荷物を持って移動する。
・荷物の中身を地面に広げて、所持品のチェックをする警察官。

1945年10月12日 ベイリー橋の架設 佐賀
・小さな川に小さな橋を架けている海兵隊のエンジニア。
・柔らかくて泥だらけの地面で、鉄骨構造の橋を作る海兵隊員たち。
・市民が、橋を建設している海兵隊員の様子を見ている。
・海兵隊のトラックが新しく建設された橋の上を通っている。
・これはベイリー橋という仮設橋である。

・海兵隊士官が韓国から戻ってきた復員兵にインタビューしている。復員兵は検疫後だろうか、リュックを背負っていて、上半身は裸である。
・士官と復員兵がマイクに向かって話している。その後ろで、褌姿でリュックを背負う復員兵。
・格子のすき間から水筒を受け取る復員兵たち。
・大勢の復員兵たち。
・復員兵が列になって山道を歩く。検疫を受けた後、引揚援護局が管理する収容所まで徒歩で移動する。
・復員兵が検疫所から出てくる。全員大きなリュックサックを背負っている。検疫所の門には子どもがいる。針尾の収容所まで山道を歩く。
・日本のトラックのラジエーターに水を入れている日本兵。
・日本人の救護係がテーブルの上で書類を書いている。
・日本のトラックの荷台に立つ日本軍兵士。
・トラックに荷物を積み込んでいる。
・装備を身に付けて検疫所を出ていく日本軍。待機している他の兵士たち。

原文

Japanese Troops Return to Homeland from Korea Sasebo Oct 1945