長崎の降伏及び交渉 1945年9月23日
昭和20年(1945)9月23日、米第2海兵師団が長崎出島に到着した際の映像。リロイ・P・ハントン(LeRoy P. Hunt )少将指揮下の隊員25000人が出島岸壁から続々と上陸した。港には停泊中の米海軍病院船が見える。進駐後ただちに進駐部隊指揮官と長崎連絡委員会代表らによる戦後処理会談が行われた。その他焼け野原となった市街地の様子、被災地で再び生活を始める人びとの様子等が収められている。
1945年9月23日 第2海兵師団、長崎到着
・船上から、入港する長崎・出島の港を見る海兵隊員たち。
・海兵隊員の前には病院船(ヘブン号とサンクチュアリー号)が停泊している。
・戦後処理のため、部屋に入る長崎市代表団。一番右が長崎市長の岡田寿吉。右から三番目が谷口元治郎陸軍中将。
・代表団は壁に沿って椅子に座り、米軍将校が入室する時には起立して礼をする。
・米軍将校たちはテーブルを囲んで座り、降伏における文書を読み上げる。
・長崎の街。
・原爆で破壊された建物を横目に歩いている日本の海軍将校とアメリカの海兵隊員。
・通りを歩く日本人青年。通りには、白くなっている郵便ポスト、何かの店だったであろう建物がある。
・破壊された建物の屋根に立つ日本人。
・元軍人だろうか、敬礼して行き交う青年たち。
・「濱田時計店」の看板に座る少年。その隣の店の看板には「クスリ」とある。薬局だったのか。その前には海兵隊員が立っている。
・街の残骸の中を歩いているカンカン帽を被った老人。
・破壊された建物の前を歩く日本人の青年たち。女性2人はもんぺ姿で何かを担いでいる。
・全壊した建物の残骸を、男性4人で運んでいる。
・橋の上。牛に引っぱられる男性。海兵隊員が立っている。
・リヤカーを引く日本人青年。
・"U.S. Marine Barracks, Nagasaki, Japan." 米軍海兵団キャンプ地であることの看板。アメリカ人が頑張って書いたと思われる漢字の「米国陸戦隊」。
・米軍の揚陸艦に乗船する長崎市長の岡田寿吉、続いて谷口元治郎陸軍中将。他の日本人もボディチェックを受けて中に入る。
・戦後処理会談前の長崎市の代表達。
・文書を読み上げるリロイ・P・ハント少将。
・岡田市長らに交渉文書を読む海兵隊員。
・会談が終わり、退席するハント少将と側近たち。
・海兵隊士官のために通訳をしている日本人通訳。「"INTERPRETER 通訳"」の腕章を付けている。
・小型舟艇が、日本人をピックアップするために船の側まで来る。
・岡田市長ら、下船する。
・日本人通訳が間に入り、日本が提出した書類に目を通す海兵隊員。通訳が文書を指して海兵隊員がメモしたり、交渉したりしている様子。
Surrender negotiations Nagasaki 9/23/1945